ジャーナリストのパソコンノートブック
(107) 「市民権を得た同性婚カップル、税金の還付が認められる」
    このところ外国特派員の訃報に接する事が多くなった。マッカーサー元帥と一緒に日本に進駐してきた米国の記者が92歳で亡くなり、一時代が終わったという感じだ。その後ベトナム戦争以後東京に住み着いていた特派員の訃報が相続いている。外国人の訃報のお知らせでは、『奥さんとか子供に看取られて….』と云う表現が使われる、これが日本での喪主に相当する。私はこの箇所に特に注意を払って読む事にしている。最近目立っているのが、明らかに白人の米国人特派員を、最後に看取った人が日本人男性が喪主だからだ。これら特派員は東京で独身を通しており、最後に看取った日本男性の名前が出てくると、彼はやはり、同性愛者だったのだと納得する。数年前ある著名なジャーナリストが90歳で亡くなった。彼は戦前AP通信社の記者として中国で共産党を取材し毛沢東の長安遠征、延安埋伏作線に同行、洞窟の中で毛と行動を共にした唯一の海外のジャーナリストで、1971−1972年のピンポン外交(愛知県での世界卓球選手権大会に参加した中国卓球チームが、米国卓球チームに接触、中国に招待した、1972年の毛沢東—リチャード.ニクソンの会談)の切っ掛けを作った。この記者は鎌倉に藁葺きの古民家を移し、日本人の青年と暮らしていた。彼は晩年に「僕の孫….が」を連発していた。どうやって「孫」を作ったのか不思議に思っていた。つい最近まで、同性愛者同士の結婚が認められていなかったので、日本での合法的手段は、年配の方が若いパートナーを養子にもらい、親子関係を結ぶ事である。この特派員は、自分の死後、残していくこのパートナーに家族を持たしてあげようと、自分はハワイに引退して、パートナーに日本女性と結婚してもらい、子供をもうけたという。ハワイから鎌倉のパートナーの子供、つまり孫に会いにくるのが晩年の楽しみだったという。この特派員の死亡告示には、「息子夫婦と孫に看取られて安らかに亡くなった」と記してあった。 米国では1950−60年代頃までは同性愛に対する偏見が強く、就職や、出世にも響いた。同性愛に対し否定的な欧米のキリスト教文化に対し,同性愛をタブー視しない仏教文化のお陰で、欧米のゲイは日本に住み着く様になった。
   多くの日本人は同性愛者は女装など「異性装」をしていると信じている様だが、これはショーパブやTV番組など等商売用の衣装で、見せる相手は同性愛の男性ではなく、異性である女性を意識しての商売用の衣装である。同性愛者の大多数は「異性装」をしていないのである。以前「三菱商事の社長さんが外国特派員を招いてのパーティで、広報担当者がパニックになっていた。ニューズウイーク誌の東京支局長のMr.XXXを招待したのに、大柄な白人中年女性がMr.XXXとして現れた。 Mr. XXXは男なのですか?女ですか?名前はジョンと書いてあったので、てっきり男だと思ったのですが。とにかく社長に紹介する時、180センチもある金髪の大柄な中年女性をミスターXXXと社長に紹介出来ないし、どうしたら良いでしょうと相談された。そこで私は「日本語には便利な表現があるでしょ? ニューズウイーク特派員の「XXXさん」と呼べば良いでしょうと提案した。 彼の女装はにわか仕込みで余り上手くない、金髪のカツラはずれているし、ブラジャーのパットがずれているし、ストッキングから脚のむだ毛がツンツン飛び出し、化粧もケバすぎる。ハイヒールが合わずガニマタでヨタヨタしているまるで高校の学芸会で男子生徒が始めて女装をしたようだ。その後この支局長は姓名はそのまま、名前を女性名に変えた。米国人の男性は社会的規範に縛られて育てられる。「ボーイスカウトに入って男らしくなれ」、「感謝祭の七面鳥のローストを切り分けるのは家族の長たる男の仕事だと、切り分ける講習におくられる」等男子らしさを要求される。結婚してからも良き夫、良き父親として振る舞う事を要求される。ある時違和感を感じ、自分が女装する事で満足を得る様になり、自分を異性装同性愛者と認識し、突然カミングアウトしたと云う。気の毒なのは彼の家族で、当時8歳の息子が家庭内に2人の母親がいる事で混乱を来たし、暴力をふるう様になったという。
    大多数のゲイ男性は女装をする訳でもなく、オネー言葉でなよなよするわけではない。ゲイである事を隠しているため、女性に追い掛けられるのを何回も目にした。私の働いていた英国の新聞社内にクリニックがあり、専属の医者の息子が東京の商社に転勤になったと挨拶に着た。英国からの噂ではその息子リチャードはゲイであると云う。会ってみるとサッカーのデービッッド・ベッカムにそっくり、モデルになった方がよい。ゲイの男性を友達に持つのは便利だ。ジープを持っていたので、葉山の海の家まで運転してもらった、引越とかの家具の運搬も手伝ってくれる。六本木や青山を連れ回して欧米人の女性を羨ましがらせることが出来る。あるパーティで私の海の家は今週末ゲストで一杯だ、10人位が雑魚寝する事になると話すと2−3人の女性がリチャードのジープで行きたいと云う。その週末英国外交官の19歳の娘アネットが枕と敷布を持参で泊まりにきた、彼女は両親が同じ海岸に別荘を持っていたのに、私の家に泊まると云うので、リチャードの隣にお布団を敷いてあげた。アネットは朝5時頃から寝床を抜け出し、裸で部屋の中をうろうろして「リチャード、私、目が醒めちゃったの」とモーションをかけ始めた。リチャードはいびきをかいて、ワザと寝たフリをしていた。アネットに彼がゲイだ! 諦めろと説得しようと思ったが、彼女の夢を壊しては悪いので黙っていた。しばらくして、リチャードは素性が会社にバレ、グアム支社の閑職に追いやられた。アネットはグアムに押し掛け、リチャードの寝込みを襲う事に決めた。グアムでアパートのドアを開けたら、青白い貧相なフィリッピン青年がシーツを身体に巻き付けヨロヨロと寝室から出てきた。アネットはひどいショックを受け、そのまま成田に戻ってきたと云う。この青白いフィリッピン青年の登場は同性愛者がどのような生活をしているかと云う残酷な現実を女性に突きつける。以前EC(現在のEU)が東京に代表部を作り、初代の代表が日本に対して侮蔑的な報告書を書き、大問題になった。「日本人は未だに兎小屋としか云えない様な小さい家に住み」と書いてあった。日本人は自虐的に兎小屋とはどの位の大きさかと大真面目にTV討論したり、日本橋のデパートでは兎小屋を展示販売したりして、総じて、ユーモアーを持って対応した。フィナンシャルタイムス紙の英国人支局長がこの事を記事にするので元原稿を書いた本人から貰ってきてくれという。この原稿を書いた本人はECの大使に相当する人で、英国上流の出身、TVのシャーロック・ホームズを演じたジェレミー・ブレッドそっくりの美丈夫であった。三番町にあるEC本部の仮事務所であった彼の自宅にワクワクしながら原稿をとりに出掛けた。彼は留守で、ひどく血色の悪いフィリッピン少年がヨロヨロと寝室から這い出して来た。フィリッピン人は元々肌が浅黒いが、それが青白くなると、どんな虐待を受けていたのかと心配になってしまう。今になって思うと、フィリッピンには「ジャパゆきさん」という娼婦を日本に送り出す時代があったが、若い男娼を「ハウスボーイ」(メイドさんの男性版)として欧米のゲイに対して送り込むシステムがあったのではないか。ハウスボーイは料理、掃除ばかりでなく、性的なサービスもしたのであろう。知らなければ良かった世界を知ってしまったという感じだ。
  海外の多くの調査で、同性愛者は人口の2−13.6%、つまり人口50人の内1−8人が同性愛者だという。同性愛者だと公に明かす事を躊躇う人も少なくないので同性愛者同士のコミュにケーションの時と場所は異性間愛者と較べ限られてくる。彼等は大きなパーティを開き出会いを求めた。Sexまでの垣根は低く、Sex経験者数は一般的に異性愛者よりずっと多いと云う。美輪明宏(??)は30代の頃2,000人の男性と付き合っていたと雑誌で書いていた。サンフランシスコに住んでいる日本人のゲイの男性は週に何回かは知らない人のパーティに呼ばれると云う。彼等のコミュニケーション手法がエイズの蔓延に手を貸した事はゆがめない。私の女友達はサンフランシスコの高級街に不動産投資した、身元が固いから大丈夫と思ってアパートを貸した銀行員がゲイであり、彼が頻繁に開く乱痴気パーティの騒音で近隣の住人から訴えられ、サンフランシスコの警察に説明に行くのが面倒になって、そのフラットを手放した。しかし、ゲイの晩年は惨めであるとサンフランシスコで老人施設で働いていた知人は語る。老人ホームや介護施設がエイズの感染という根拠の無い理由で入居を断わる例が多いと云う。さらに、同性愛者は肛門性交で、肛門活性筋がこわれ、垂れ流しになってしまい、下の世話が大変だからだという。女性の生理用品のタンポンの特大サイズが同性愛者に使われている事をはじめて耳にした。90年代半ばインターネットの普及で同性愛者はパーティでなくても頻繁に連絡を取れる様になったと云う。インターネットの発達が同性愛者の生活を大きく変えたと云う。
   同性愛者間の合法的結婚を求める議論は1970年代から活発になったが、ゲイ運動活動家は1990年代になって闘争をあきらめてしまった。法廷闘争で負け、ゲイパレード等で奇抜な格好をするデモンストレーションの仕方は興味本位の視線に晒さし、誤解を招ねき、カソリック系の人工中絶反対の過激グループの攻撃対象になりかねなかった(米国の超過激派は中絶手術をした医者を暗殺し、クリニックを爆破した)。 Human Right Campaign(HRC)世界最大のゲイの政治的組織は 同性愛者に尊厳を取り戻す様に指導をはじめた。2008年には国連で同性愛者の差別撤廃が求められ、彼等は同情を買う様な作戦に出た。エディス・ウインザーというレスビアンの女性が遺産税で受けた差別待遇の是正を求めた裁判で、同性婚にも、異性婚と同等の配偶者控除などの税制優遇が受けられることになった。NYでカナダ人女性と合法的な同性結婚したウインザーと云うレスビアン女性は、亡くなったカナダ人女性の遺産を引き継ぐために360,000ドル(2,840万円)もの遺産税を払わなくてはならなかった。これが異性間の結婚、つまり、ウインザーが男性であったら遺産税支払いはゼロである。今年9月になって財務長官はウンザーが連邦レベルの税制優遇阻止が受けられる様になると発表した。2013年の確定申告から適用される。 これは連邦最高裁判所が 結婚を男女のものと規定した条項を違憲とした事で対応した結果である。同性婚が合法化されていない州に住んでいても、連邦政府が所管する税制に付いては優遇措置が受けられる。対象となるのは所得税、贈与税、日本の相続税に近い遺産税等の連邦税率の免除、各種控除、従業員給付等に関して優遇措置が適応される。ルー財務長官は声明で「法的に結婚した同性婚カップルは連邦税制法の元で、米国民が享受する税の免除や負担、保障を受けられる様になる」とした。合法的に結婚していたゲイやレスビアンのカップルは配偶者の為に払っていた健康保険、フリンジベネフィットの支払い、また支払われてしまった連邦給与税等の税金の還付を請求出来る。2013年(以降)の連邦所得税申告書については合法的なカップルは「夫婦合算」か「夫婦個別」の申告をしなければならない。同性婚カップルの為の税金の還付、健康保険の払戻、社会保障とメディケア税の払戻等の事務処理がひどく複雑で面倒くさいし、ゲイの夫婦が同レベルの収入がある場合、夫婦合算納税は、ストレートな男女の夫婦の納税より大幅に上回る。これに対してゲイの資産を扱う税務ドバイザー、法務、ファイナンシャル・アドバイザー等の専門的アドバイスが必要だ。“第三の性“と確立されたLGBT(レスビアン、ゲイ、バイセクシャル、性同一性症候群)の資産ビジネスを扱う産業として大きな成長が見込める。クレディット・スイス等大手銀行は特化した資産運用サービスの新聞広告をだしている。これまでゲイが別々に使っていたお金が結婚する事で一本化されるので、余裕資金が溜まり、消費や、投資に使われるのではないかと云う読みだ。カリビアンのリゾート地、地中海のリゾート地もゲイのカップルのロマンティックな滞在を呼び掛けている。 東京のポータルサイトのパジェットによると、LGBT(レスビアン、ゲイ、バイセクシャル、性同一性症候群)の裁量消費市場は米国の場合70兆円、日本の場合6兆円だと推測されると云う。日本の酒類の消費が4兆円であるから、いかに大きな市場であるかわかる。
カリフォルニア大学のウイリアズ研究所によると米国人口3億3千3百万人のうち、3.8%,又は1千百40万人がゲイかレスビアンであるという。社会心理学の研究から実際のゲイの人口はこの2倍近くに達すると思われる。今日米国の13の州でゲイの結婚が合法化されている。 米国のゲイ、レスビアン等はマイノリティではあるが、完全に“第三の性“という人権を確立した。一方世界では反対の動きもある。ロシアではプーチン大統領が同性愛に関する宣伝行為の禁止を始めとする同性愛規制法を6月に成立させた。クエートやサウジアラビアなどイスラム国家は染色体のチェックで同性愛者の外国人を閉め出すと云う新政策を打ち出した。   終,柴田

    

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