ジャーナリストのパソコンノートブック
(106) 「タッチスクリーン世代」
 私の甥の1歳半になる娘は大人の携帯をいじるのが大好きだ。携帯のカメラで写真をとり、送る事を覚えてしまった。そして短縮ボタンを押してしまい、電話の相手が出て、驚いて「ギャー」と野性的な叫び声をあげ、携帯を放りだした。まだ日本語が出来ないうちに携帯の使い方を覚えてしまった。『もしもし』ぐらい言葉を教えておけばよかった。法事等の親戚の集まりで、妙に静かだと思ってみると、幼児は頭を母親の膝に乗せ、脚を組んで、携帯のゲームに2時間近く夢中になっている、まるで休日にくつろいでいるオジさんのようだ。それから今年夏、携帯は目を悪くするからと、大きなタッチスクリーンのiPadを買ってもらい夢中になっている。親戚のオバさんでも誰でも、iPadで一緒に遊ぼうと誘ってくる。可愛い小熊がユーモラスに腰をふるダンスのアプリだ。2歳半の幼女はオムツを付けたまま踊り続ける。私も美容体操だとお付き合いするが、すぐに息が切れ、腰痛でギブアップ。こんな現象日本だけなのか?さらに甥の子供に限った現象か? 世の多くの母親は、オムツの取れない幼児の頭脳の成長にタッチスクリーンは悪い影響を与えるのではないか?と自信がない。しかし、オーストラリアで信じられない光景を目にした。ゴルフをする妹にくっ付いて行ったオーストラリアのリゾート地のシェラトン・ホテルの食堂の入り口の待合室で、乳母車に載せられた何十人というオムツのとれない幼児がゴムの乳首のおしゃぶりを口にしてiPadに夢中になっている。親達が食事をしている間、幼児たちは「Ten Giggly Gorillas(十匹の笑いが止まらないゴリラ)」というアプリに夢中になっている。幼児は「次はどのゴリラをくすぐってやろうか」とタッチスクリーン上をスワイプと云う指を滑らせる操作をしている。欧米の親達の間では幼児を連れて長距離の車の運転、飛行機による移動する場合は、幼児にタッチスクリーンを与えるのが常識になってしまっている、しかしこれは親の都合の為にiPadを利用しているだけである。  
  幼児教育学者は, 現在の幼児とディジタル技術のかかわり合いはマリア・モンテソーリ(世界的な幼児教育学者)の有名な言葉、『手は人類の知性の道具となる』が過度に進歩したものであるという。 マリア・モンテソーリ(1870?1952)は、イタリア初の女性医師である。当時女性には医師は務まらないと、ひどい差別を受ける。ようやく得た仕事はローマ大学の精神病院の当直医師であった。そこで彼女は知的進歩がないと絶望的見放された障害をもった幼児が床に落ちたパン屑で遊んで、感覚的刺激を求めている事を認め、指先を動かす様な玩具を次々と与えると、知的障害があっても、知的向上が見られると発表、世界の医学会に大きな反響をよんだ。後に「モンテソーリ幼児教育理論」を確立した。今日、オムツが取れない幼児がiPadのタッチパネルを指を滑らせて双方向のゲームしているのを見たら、モンテソーリ女史は想像した以上の知的向上が見られる事に驚くであろう。
   各家庭にメディアがテレビだけであったと云うのはそんなに遠い昔の話ではない。TVは両親の寝室や、鍵のかかる戸棚に備え付けられていた。それから、スマートフォンやiPadが4歳の子供でも手が届く所に置かれた。幼児が言葉の綴り方を学ぶのと、就学前の子供に売り込もうと何千ものアプリの開発のどちらが早いかと云う急激な変換を米国の子供遂は短い間に経験する事になる。これは日本の子供にも云える事であろう。 2011年米国の小児学会は最新の「幼児とメディア」のあり方を発表した。1999年の学会の発表では2歳に満たない幼児にテレビを見せるのは控えた方が良い、頭脳発達の研究で、この年齢グループの幼児は親との直接的な相互理解が大変重要だと云う結果が出たからだと理由をあげていた。 しかし2011年の学会発表では1999年の学会発表から事態は大きく変わったと発表。米国の親の90%が2歳未満の子供でも「スマートフォンや、「新しいスクリーン型の電子メディア」に時間を費やす事を許していると発表。しかし、「新しいスクリーン型の電子メディア」と云う表現を用い、「タッチスクリーン」という双方向のゲームアプリケーションと云う言葉を敢えて避けている事は、90%の米国の親の中には双方向のタッチスクリーンを幼児がスワイプ(パネル上を指を滑らせて)して遊ぶ事に幾ばくかの不安を抱えているからだと云う。
  今年春、幼児向けタッチスクリーン・ゲーム・アプリケーションの開発者、母親の代表、幼児教育学者ら集まりがカリフォルであった。彼等は2歳半以下の幼児を「タッチスクリーン世代」と呼ぶ事で一致した。タッチスクリーン擁護派のオピニオンリーダー達が「自分の子供に双方向のタッチスクリーンゲーム機器を使わせているが、遊ぶ時間を制限している」と云う意見が多く意外な感じがした。これは子供が中毒者になるのを避けるためだという。飛行機と車での長距離移動の時と、水曜日と週末一時間半だけだと家庭での規則を定めているゲームアプリ開発者がいた。この大会に出席した親達はノイローゼ気味であった、電子技術が生活の至る所に入り込むこの時代に親は子供の為にやっている事が正しいかどうか確信が持てないからだと云う。 タッチスクリーンの子供に与える影響についての研究結果を出すには暫くかかりそうだ。確信が持てないうちに、凄い勢いでタッチスクリーンゲームが広まってしまった.研究者は「iPadの出現で子供のゲーム市場が変わったと直感した」と云う。以前は子供は親にマウスとキーボードの使い方の手ほどきを受け、自分の手の動きとコンピューター画面に起きている動きとの関連を飲み込むのに時間がかかった。しかしiPadでは関連性は直接的である。 指一本の動きで画面上のバスを急発車させ、虫を叩き潰す事ができる.幼児にとって「手」は彼等の思考の延長である.マウスもキーボードも必要ないのである。

  技術的完璧さと高性能化は、米国の親にとって、必ずしも快適さと安楽さをもたらすものでない。親は子供をディジタルの流れで正確な方向に泳ぎ切って欲しいと願う、しかし余り早い時期にディジタルのメディアを与え過ぎては、子供が沈んでしまうのではと心配する。もし、失敗したら、子供は青白い顔をして、他人と目を合わせて話す事が出来ない、ガールフレンドはゲームの中のアバター(主人公)だけと云う気の毒なオタクになってしまうと心配する。
  よく耳にする質問は幼児はiPadから何か学んでいるか?学んだ事を実生活に持ち込んでいるのか? インテラティブ(双方向性)は学習に効果があるのか? 等である。これらの質問は全て、大人の概念で出された質問である。幼児向けのアプリケーションはiTuneの店で全て「教育」と分類されたからである。幼児をディジタル技術に触れさせる事に罪悪感を感じている親に安心感をもたらす様に「教育」と云う分類を設けたと云う、正確には、「子供」、「子供向けゲーム」という分類分けにすべきである。 幼児はこちらが考えているよりずっと賢い、間違えておしえても、自分で判断して修正していく事が分ったと学者は研究結果を発表する.甥の2歳半の娘は何か「グチュグチュ」訳の分らない言葉を凄い早さで話す。どうもゲームから覚えた言葉らしい・そんな状態が1年近く続いたが、誰も理解してくれない.母親さえも分ってくれない。家族と話すゆっくりした言葉以外には通じないと判断して、最近では全く話さなくなった。米国の大学の実験でも、グレープフルーツを「桃」と教えても、最初から信じない幼児は「グレープフルーツ」と正確な名前で覚え、間違って「桃」と覚えた子供も、しばらくして正しい名前で覚える様になると云う。
   多くの幼児向けゲームアプリはスウェーデンの”Toca Boca(トッカボッカ“)と云う、ゲームスタジオで作られてものに類似していると云う。トッカ・ボッカの設立者エミール・オブマーとビヨン・ジェッフリーはスェーデンのメディア会社 Bonnierの社員、インテラクティブ(双方向)ゲームの専門家である。エミール・オブマー氏は大人になり切れず、人と会うより、小さな息子2人と遊んでいる方が楽しいと童心を捨て切れないゲームデザイナーだ。ジェフリとオブマーは2010年に幼児用のゲームアプリマーケットに参入しようと、その当時手に入るアプリを集めたが、どれも教訓的なもので、創造力も、想像力もないひどいものであった。例えば画面上で、蝶々をドラッグ(引っ張って)してクモの巣にいれるなどインスピレーションの湧かないものだった 2011年オブマーとジェフリ?は“トッカ・ティーパーティ”(トッカお茶会)と云うアプリを世に出した。このアプリは本物のお茶会と何も変わらないアプリだ。iPadの画面そのものがお茶のテーブルで、脚がないだけである、幼児は自分の好きな人形を飾ったりする、3つのテーブルクロスから好きなものを選び、ケーキ皿、お茶のカップ、お菓子を選ぶ。お菓子は母親が与えてくれる様なものでなくて、チョコレートケーキ、粉糖をたっぷりかけたドーナッツやクッキーである。この幼児は劇場型セッティングを用意する.お気に入りの恐竜のぬいぐるみをお客に呼ぶ。このゲームの大きな特徴はお茶がこぼれやすい事である。幼児はお茶をカップに注ぐ時、お茶をすする時にこぼれやすいと云う現実的シナリオが大好きだ。台所の流しで使った皿を洗剤の沫だらけにして洗うのが好きだ。本物のお茶会と何の変わりもないこのゲームをどうして子供が好きか分らない親もいる。幼児は親がお茶をこぼしたと叱る声やお茶会での会話までも受け入れる。「トッカ・お茶会」のゲームをリリースした後、二人のゲーム開発者は「トッカ・ヘアーサロン」と云うゲームアプリを投入した。最も面白いアプリと評判だ。このヘアーサロンはNYの洒落た店でなく、壁にヒビが入っている様なうらぶれた店である、目的は「美」ではなくて、「破壊」である。髪を切る事は、紅茶をこぼすと同様、小さな子供が絶対やってはいけない事である。おかしな身なりをした人々を登場させ、髪の毛を好きな様にセットする、刈り上げたリ、染めたり、毛を伸ばしたりする。熱風のドライヤーを吹き付ける箇所は現実的だ。ドライヤーを吹き掛ける時、風圧で大きく歪んだ顔の表情も子供の大好きなものだ。Toca Boca はこのヘアーサロンのアプリを2週間近く無料でバラまいた。最初の一週間でこれが百万回ダウンロードされた。Toca Boca ゲームアプリは最も人気のある教育的アプリだと評価されている。幼児はアプリが教育的に開発されたかどうかはどうでもよい、面白ければ良いのであるの。2歳半まで幼児はToca Boca Tea Party や Toca Hair salon等「参加型のアプリ」を好むようだ。
    これまで新しいメディアが紹介される度に、短い間であるがに若者に悪影響がおよぶと非難がおきた:紙の媒体は若者のモラルを破壊するとか、TVは若者の視力を奪う、ビデオゲームは若者を暴力的にする等である.どの時代にも共通しているのは、メディアは子供から貴重な学習時間を奪っているという非難である。メディアの誘惑が無かったら、幼児は友達と遊んだり、砂の中に足を突っ込んだりして何か学び取ることがある筈だという。現在のタッチスクリーンに対しての関心事は幼児がスクリーンを凝視するため、使われていないシナプス(神経興奮を伝達するときの二つの神経細胞の接合部)が衰え、幼児の頭脳に影響を与えるのではないかと云う心配だ.過去、TVやADHDに関して、このような研究が発表されたが、後にこの学説は非難を浴びている. 


  「米国小児学会」は子供がタッチスクリーンゲームに夢中になり、親が子供と過ごす時間が削られるのではないかと云う質問に対し,”Zero-sum game”だという。親は子供の日常がどのようなものか知っている.学校に通う時間も、ゲームをする時間も、親と過ごす時間も十分にあるのを知っている、問題はビデオゲームに過度にのめり込む子供がいることだ。人間には熱中して、病み付きになる性向を持つ人種がいる、子供がこのような傾向を見せたら、タッチス
クリーンで遊ぶのに厳しい時間制限を設けるべきだと提言している。

   とにかくオーストラリアで見た、ゴム製の乳首を口にして、オムツを付けて、iPadをしていた幼児の一軍が10年後、20年後どんな少年、青年に育っているか是非とも見たいものである。私には新しい人種が現れた様にみえたからだ。  

柴田

    

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