ジャーナリストのパソコンノートブック
(97)新聞の信用とは

最近,日本の新聞はどうなっちゃったの?と思う事例が相次いだ。IPS細胞を使った世界初の臨床応用をしたと大手メディアは大々的に報道した。即 座に大半がウソだと判明した森口尚史の一件。この記事が読売新聞の朝刊に大きく報道されたのは山中慎弥京都大学教授のノーベル医学賞受賞発表の3日後の 10月11日の事であった。この記事と森口氏の発言の信憑性が問題になり誤報である事が分り、2日後読売新聞自身が「IPS」移植は虚偽と認めた。これは 読売ばかりでなく,大手各紙も彼の話だけを鵜呑みにして記事を報道した。森はマスコミに総タタキにされ,一過性の事件として忘れ去られるであろうが, 後味悪いのは,日本の大手新聞社の編集体制のいい加減さである。
    日本の新聞も,海外の新聞も編集の手順,検証手法はほぼ同じだと思うが,読売等の報道は基本的な検証を全くしていないと云う事が妙に気になる。私の英 国の新聞(フィナンシャル・タイムス)で働いた経験によると、書いた記事を,第一,第二の編集者がチェックして,記事中に使われた人名,病院名、企業名, 電話番号,時間、場所など事細かく調べる。時として,日本の大手企業の重役が絡んだ金融事件や政治家のスキャンダル等,日本の新聞が何百回も実名で報道し ても,英国の法律では、誹謗罪にあたるとして、英国の弁護士が深夜に検証の電話をしてくる事が度々あった。日本では聴取の為に警察に連行されるのを「逮 捕」とされたと実名で報道されるが,英国では検察に有罪とされるまで実名報道はされない。校正も済み,レイアウトされた記事を編集長が目を通し,編集長が 少しでも疑問を持つと,チェックを逆行して行う。この様に幾重にもチェックされれば,森口氏の肩書き、IPS細胞を使った臨床応用したという病院,立ち 会った医者の名前など有無などから、森口氏の発表の信憑性が疑われ,読売新聞の様に一面に大々的に捏造を報道するという恥をかかずに済む。
     幾重にも設けられた編集検証体制でも,上手く切り抜けた捏造報道事件があった,それもNew Republicと云う大統領専用機に置かれる米国唯一の格式の高い政治雑誌であった。スチーブン・グラスと云う新米記者が1997年1998年に在籍中 発行されたNew Republic41冊のうち27冊の記事が捏造された物であった。この新人記者は地方記事,社会ネタを任されていた。スチーブンのユーモアたっぷりの記 事はお固い政治ネタにうんざりしている先輩の記者,編集者に愛されており,彼は人気者になった。最初の捏造記事は共和党の若手支持者の集会を事細かく報道 した記事で、「乱れた春」という見出しであった。記事には党大会の会場はガラガラで,若い支持者達はホテルの室内でドラッグ,酒盛り,売春婦を連れ込む等 乱痴気騒ぎ。いかにも記者がその場にいて,観察したように、「部屋の中にあるミニバーの酒の小瓶がゴロゴロしていた」と状況が描かれていた。 雑誌が発売 されて直ぐ共和党から編集長にクレームが入った。そのホテルの部屋にはミニバーが備わっていなかったと云う。編集長の質問にスチーブンは、余りにも酒の小 瓶がゴロゴロしていたので,てっきり部屋に備え付けの冷蔵庫があると思ってしまったと言い訳した。「こういう大会には貸し冷蔵庫を持ち込む事も考えられ る」と付け加えた。 編集長はスチーブンのウソに気がついたが,何も言わず彼を返し、電話帳でレンタルショップを探し、ミニ冷蔵庫をホテル等に貸し出す事 がある事を確認した。これで共和党にクレーム対し逃げを打つ事が出来る。 このようにスチーブンの記事は不完全であったが面白かったので編集長の追求を逃 れた。 スチーブンは1998年にとうとう大スクープ をものにした。"Hacker Heaven"と云う記事はイアン・レステルと云う天才ハッカー少年がジューク・マイクロニクス社のコンピューターシズテムを乗っ取り,ウエブサイトに女 性のヌード写真や,従業員の給与明細を載せ,自分を「ビッグ・バッド・バイオニック・ボーイ」と名乗った。困ったジューク社はイアンをコンサルタントとし て雇った方が安く済むと,イアンと母親,それにエージェント(彼は人気ハッカーなのでエージェントが必要)をホテルに呼び,雇用条件等を話し合った。イア ン少年は条件として,ディズニ-ランドへの回数券,雑誌プレイボーイの年間購読,ついでにペントハウス誌も、漫画メン・イン・ブラックを全刊揃える等の要求を出した。ジュ-ク 社の重役2人は,我々は貴方が成人したおり,プレイボーイ等を買うのに余りある報酬を用意していますと答えた。エージェントによると米国の21の州でハッ カーと企業間の取引が犯罪になると云う。このエージェントは現在300社にイアンをコンサルタントに雇う事を要求していると云う。その内返事がきたのは1 社だけで,百万ドルを用意しているという。交渉が上手く行ったイアン少年は隣のビルで開かれているNational Assembly of Hackersと云うハッカー全国大会に出席した。イアンは有名ロック音楽演奏家の様な大歓迎を受け,中央のテーブルの上で「プレーボーイを見せろ」, 「ディズニーランドに連れていけ!」「Show me the Money」等と尻を振りながら,踊ったという。全員が声を揃えて合唱した。
    ここまではスチーブンの業績は素晴らしかった,しかし記事が余りに面白かったので他の競争相手の雑誌の関心を惹いてしまった。1998年5月6日、 Forbes 社の編集長は自社のディジタル部門フォーブス・ディジタルの担当者アダムを呼び,New RepublicのHack Heavenの記事を取り出し「どうしてこんな面白い記事を他社に抜かれたか」と叱責した。ディジタル担当者アダムは同僚と手分けして、記事中に出ている コンピュータ-ソ フトの大会社ジューク・マイクロニクス,イアン・レストウ年の自宅住所、彼の通っている学校,記事の中で出てくるネバダ州の法執行官の名前,イアンのエー ジェントの名前等Yahoo! や 税務署の納税記録等を調べたが何一つ確認出来なかった。 それはIPS細胞を使って移植に成功したと主張した森口尚史 のウソがバレるのと同じ位の早さで、New Republicの若い編集者が頭脳明晰なハッカー達が仕掛けたワナにかかったと云う結論に達した。大統領専用機に持ち込まれる唯一の雑誌New Republic 誌がこんなハッカーに騙されるなんて,これについてForbsディジタルがオンラインで記事を流す事にした。そこで、New Republic誌の編集長にハッカー少年を雇ったジュ-ク・マイクロニクスの電話番号,会社のウエブサイト(URL), 重役の名前を教えてくれと頼んだ。Forbs誌のアダムはスティーブンが教えてくれたジュ-ク 社の電話番号に掛けてみるが,いつも「後から電話をかける」と云うボイスメールばかりである。そこで同僚2人が同時にこの番号にダイアルすると,1人はボ イスメール,もう一方は話し中になっている。何度やっても同じである、記事の中ではジューク社は大会社と書いてある、その大会社が電話回線一本だけとはお かしい。教えてくれたジュ-ク・エレクトロニクスのURL もとても稚拙で,一目で偽物だと分る物だった。大会社なのにAOLだけを使うのもおかしい。 その日の真夜中 New Republic の編集長の自宅に,ジュ-ク 社の重役ジョー・シムズがボイスメールに対して返事をしてきた「ジューク社がハッカー少年を雇った事に付いてはコメントしない、 インタビューはオフレコ と云ったのに,おたくの記者が勝手に書いた。これから労働組合との会合があるので」と素っ気なく電話を切った。 スティーブンによるとジュ-ク社との全てコンタクトはボイスメールだけの一方通行だと云う。 Forbs 誌に3時間も質問攻めにあっって、よれよれになったスティーブンを編集長はまだ救おうとしていた。ジュ-ク社のシムズ重役のボイスメールの電話をもらったからだ。ハッカー少年とジュ-ク 社が交渉したと云うベゼスタに行き,実証検分しようと云った。 スティーブンは5人が座ったと云うホテルのテーブルを示した。次に編集長はハッカーの全国 大会が開かれたと云う隣のビルに行ってみようという。 ビルの玄関は200人のハッカーが集まるには狭すぎる。守衛に先週の日曜日ここで集会があったかと 聞くと,守衛はこのビルは日曜日は閉鎖されていると答えた,するとスティーブは,全員向い側のレストランに移ったという、レストランに行ってみるとレスト ランも日曜日は閉鎖している。ここで編集長は全てがスティーブンのフィクションである事が分った。帰りの車の中でスティーブンに解雇を言い渡した。同僚の 記者達は完全な解雇でなく,一年の休職位の処罰だと慰めていた。その夜編集長のもとにスタッフから電話があり、スティーブンが田舎に帰るので、空港まで車 を運転してくれとたのまれた。ひどい精神状態で運転が無理だからと云っている。スタッフによるとスタンフォ-ド大学にいる弟のところに行く予定でと語った。そこで編集長はカルフォルニア、スタンフォードの電話番号が650で始まり,ジュ-ク・エレクトロニクスと同じ番号である事に気がつき、スティーブンの弟がジュ-ク社の重役のふりをしてボイスメールに返事をしていた事に気がついた。
ス ティーブンには編集検証を逃れる穴が沢山あった。彼の取材対象は政治ネタでも,金融や経済ネタでもない。政治ネタならファクト・チェックの編集者は容易に 議事録等の記録を調べる事が出来る、金融も経済の記事も統計がふんだんにあるため,ファクトチェックが出来る。しかしスティーブンの様なノートに書き取る 取材は,編集者が確かめるには,スティーブンが書き取った取材ノート以外にない。捏造された記事がノートにあればそれを信じる以外にないのである。しか し,新聞や雑誌において記事が捏造された物であると分かれば新聞社全体の信用に関わる。とるに足りない記事でも,捏造があれば記者は即時解雇される。
    欧米の新聞にもスティーブンと同じ様な野心満々、才気走った若い記者が多い。1980年代バブル時代,フィナンシャル・タイムスの香港特派員が希望し て東京に赴任してきた。彼の書いたエイプリル・フールの記事はウイットに満ち,四月馬鹿の記事ではこれまでで最高であった。ある英国の製造メーカーが日本 の製造会社の競争力の秘密を探る為に,その頃騒がれていた日本企業の「クオリティ・コントロール」(製造現場での品質管理)制度を取り入れる事にした。  そこで全のシステムを日本風に変えた,膝を折って日本風に正座し、頭を下げて丁寧に挨拶し、社員は緑茶を飲む事を強要され,蕎麦は音を立てて食べる,何で も生で食す為に,肉から,魚まで全て生で食し、ベルトの革も水に浸してふやかして食すなどである。この日本式クオリティ・コントロールを導入したところ, 会社の利益は大幅に改善したと書いてある。この一面を使った記事に使われた写真を見ると,英国の製造会社の重役が自社ビルの前でジャガーの前で笑顔で写真 に納まっている。この自社ビルの屋上から幕が垂れ下がっている白い布に「四月馬鹿」と大文字の漢字で記してある。日本人だったら四月馬鹿はエイプリル・ フールだから、信じる人はいないと思ったが,日本のTV局,新聞社からそんな珍しい英国の会社を取材したいと云う電話が相次いだ。 隣の部屋のウオールス トリート・ジャーナルの支局長まで真面目な顔をして,凄い英国の企業が表れたと確かめにきた程だ。編集長は日本の読者の中にはユーモアを解さない人が多い ので,エイプリル・フールの記事は翌年から取り止める事を決めた。この記事を書いたのが香港の若い特派員で,彼は聡明でユーモアのある記事が書ける記者と して,本社の編集部から一目置かれていた。この彼が香港の花形記者のテレサ.マーと結婚した。彼女はファーイースタン.エコノミック・レビューの記者で、 当時,香港の広東語と中国本土の北京語(マンダリン)が話せるジャーナリストは他におらず、香港返還間際の中国本土の情報は彼女の記事に頼っていた。香港 は全体が淡路島位しかなく,香港島のセントラル地区数百メートル以内で全てが取材できた。香港政庁も、株式市場も,金融監督庁も全てここに集中している。 全てが英語で通用した。夜は英国人達と飲み食いして,情報を手に入れる事が出来る。 彼の間違いは東京を香港の延長位にしか捉えていなかったことだ。来日 前に日本語の勉強をする様に云っても,大丈夫だと云って勉強しなかった。さらに大変なのは奥さんのテレサ・マーである,彼女は香港の花形記者から,東京で ただの主婦になってしまった。夜,支局長達と六本木に食事に出掛けても,夫が店を探すのにモタモタしたと云って、上司夫妻がいる前で,夫を罵り,ビンタを して帰ってしまう気の強いドラゴン・レディーである。彼女が香港で働いていた雑誌の事務所が同じフロアーにあるので、特派員でもないのに,その部屋に置い てあった,応接セットを外に出し、自分の机を勝手に持ち込んでフリーの仕事を始めた。香港の雑誌の原稿料1万円位では,日本語の通訳も雇えない。債券の ニューズレターの取材に日本の銀行の債券部長を呼びつけ、部屋の外に出した応接セットで取材していた。彼女は日本の男性がチャイナドレスに弱いと聞いて、 スリットから太ももを丸出しで脚を投げ出し取材をしていた。旦那の方は何とか彼女を大新聞の特派員にさせたくてウズウズしていた。とにかく彼は奥さんが日 本を好きになってもらう事で必死だった。週末毎に,奥さんを連れ出して京都奈良など名所巡りをしていた。ある金曜日,ずる休みして、夫婦で京都方面に旅行 していた。土曜版は紙面が限られているので,東京発の記事も月曜日に掲載される事が多い。その金曜日の日経新聞の朝刊にある日本企業資金繰りが苦しいとい う記事が出ていた。私がその企業に電話すると,日経記事は間違いであると云う。取引銀行に電話しても間違いである事が分った。私はその時点で取材出来た会 社の重役のコメントも,銀行の担当者のコメントも添えて送った。すると土曜日のジャパン・タイムスは前日の日経新聞の記事をそのまま英訳した記事を掲載し た。 私は自分の記事を同僚が旅行から帰ったら直ぐ分る様に彼のデスクの上に残しておいた。日曜日に戻ってきた同僚は日経のジャパン・タイムスの記事を一 字一句違わずに写し、自分のバイライン(署名)を付けて本社に送った。Yokoが金曜日に送った記事を使わず、この記事を使えとメッセージも添えてある。 それから彼は決定的なミスをした。それとは別に外報部長に私の金曜日の取材に基づく記事と、自分のジャパン・タイムスの写しの記事を合わせて送り、 Yokoはこのような誤った記事を書いた。彼女に変えて僕の妻テレサ・マーを雇ってもらえればこの様な間違えは起こさないと思うと云うノートを送った。こ のように部下を辞めさせたいとき,部下に対する不満,悪口を書いたメールを本社の編集部に何通も送るのが欧米の新聞のやり方だと云う。私はNYタイムス本 社で、東京の特派員が日本人の部下が気に入らないと悪口を書いた百通近くの手紙の束を見せられ,本当かどうか聞かれた。NYタイムスの東京特派員事務所の 日本人男性は英語が堪能で、有能である為に、特派員が嫉妬して、こんな手紙を本社に送っていたのだ。
   月曜日のファイナンシャル・タイムスはジャパン・タイムス丸写しの同僚の記事を使った。多分問題の日本企業に融資した英国の銀行の香港駐在員であろう が,日経新聞,それを訳したジャパン・タイムの切り抜きを編集長に送り,月曜日のフィナンシャル・タイムスの記事はジャパン・タイムスの丸写しであり、内 容が間違っているので訂正記事の掲載を求めた(それでないと彼は日本企業への融資を焦げ付かせた事になる)。編集長は私の取材に基づいた正確な記事、同僚 が後から送ったジャパン・タイムスの丸写し,そして私の悪口,自分の妻を雇えと云う要求の手紙等を見て、彼が悪質だとして即座に解雇を言い渡した。 優秀 な記者を失うなんてもったないと私は編集長にいったが、金融経済新聞は信用を失う事の方がもっと怖いと編集長はいった。柴又の寅さんの言い草ではないが 「お天道様はちゃんと見ていて下さる」である。
  ウオール・ストリート・ジャ-ナ ル紙の"Heard on the street"と云う,ウオール街の裏話,話題の企業等を、群を抜いた資材網を駆使して取り上げる、プロフェッショナル必見のコラムがある。20年位前の コラムの担当者が自分は同性愛者であり,同棲相手が以前の恋人の証券会社員の圧力を受け,自分も証券会社から指示された企業をコラムで推薦する様になった と告白した。ウオール街の株取引に一番影響をもたらすコラムであるので,ウオール・ストリート・ジャ-ナルは3面フル頁でこのコラムニストの告白や,同性相手がどの株の推奨を迫られたのか克明に報道していた。信用を回復するには解雇では十分でなく,何頁割いても十分でないと思っているのであろう。
   日本の大新聞ではIPS細胞に関する誤報に付いても,週刊朝日の橋下大阪市長の家族に関する疑惑報道でも何らの説明もなされず,関係者の処分も十分に行われていない。日本の新聞のいい加減さだけが印象に残る事件あった。         

  柴田


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