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(85)ヨーロッパのイスラム化 |
一体、誰が想像したであろうか?開放的で、移民に寛容な「開かれた北欧の3国、スェーデン、デンマーク、ノールウェーがヨ-ロッパの民主主義と頑迷なイスラム教との衝突の最前線に立とうとは!スェーデンは日本人から見たら、高社会福祉、豊かな白人国家と云うイメージを持つが、政府当局者のナイーブで、注意不足の移民政策のお蔭で、スェーデンの第三番目都市マルモMalmo29万人)はヨーロッパで一番イスラム移民の多い、犯罪が多発する、荒廃した町になった。スェーデンは移民に寛容で、犯罪履歴も調べずに、イラン、イラク,ソマリア、レバノン,ボスニアから政治亡命者や難民を受け入れた。そして彼等の家族、兄弟、親戚が一気に押し寄せてきて、マルモの住人の4人に1人はイスラム移民になった。しかし、失業率は高く、90%に達し、不満は鬱積しており、治安は悪化する一方だ。ゲットーには警察のパトカーは1台では危険なので、2台でパトロール、消防車や、救急車も警察のパトカーの応援がなければ入って行けない。裁判所の判事は襲われ、住宅は爆破された。マルモのイスラム移民は「2030年には我々イスラム移民がこの国を支配する」とプリントしたTシャツを売っている。Goteborg市のゲットーでも治安がひどく悪い。警察官1人でイスラムのフーリガン25人を取り締らなければならず、結局無法地帯になっていると云う。増加する一方のイスラム移民を賄う生活保護などの社会福祉予算でスェーデンの財政は逼迫しており,警官を増やすまで手が回らない。高い税金で福祉を賄っているスェーデン国民の堪忍袋の緒も切れたようで、スェーデン人によるイスラムモスクの放火事件も起きている。イスラム移民はドイツのアウシュビッツの収容所で生き残ったユダヤ人の老人を襲ったり、ゲイの男性をなぶり殺したり、ニカブと云うイスラムのスカーフを付けていない女性をイスラムの道徳を守らないと、見せしめにレイプしたりしている。Goteborg 市やMalmo市では不満を持ったイスラムの若者達がスェーデン当局にジハード(聖戦)計画して、恩を仇で返された格好だ。 デンマークはJyllland-Posten と云う高級紙がイスラムの予言者ムハンマドを風刺漫画にして2005年9月30日に掲載した事で、世界中のイスラム教徒の反感を買った。アラブの大使11名がラスムセン首相に面会を申し込んだが、首相は民主主義と報道の自由を守る立場をとり、面会を断った。この風刺漫画は50もの新聞に転載された。転載した地方新聞は爆破テロに遇い、6名が命を落としている。世界各国にあるデンマーク大使館の焼き討ち、世界各国でのデモ騒ぎ、自爆テロで死亡者は100名に達した。特にムハンマドの黒いターバンの先が爆弾の導火線の様に描かれている絵が気に食わなかったようだ。ヨーロッパの人々にはたかが風刺漫画としか思えないが、拡大する一方のデモ騒ぎ、デンマーク製品の不買運動などイスラム教団による官製デモである事が明らかで、騒ぎは2010年まで続いた。 イスラム教の頑迷な教義は民主主義、思想と言論の自由を尊重する西欧の文化と真っ向から衝突する事になる。今月、10月17日デンマークのイスラム活動家グループ"Call to Islam"はコペンハーゲンやその他の市をイスラムのシャリーア法が適用されるゾーンと定めたと発表した。「シャリーア法」は人間でなく、神が定めた絶対の掟であると云う。「Call to Islam」はコペンハーゲンの郊外にあるTingberg地区がデンマークで最初にシャリ-ア法が適用される地域であると発表、その地でアルコールを飲んだり、ギャンブルをしたり、ディスコティックにでかけたりするイスラム教徒は罰せられるという。Jylland-Posten紙によると、このイスラム教グループはSalafism(サラフィズム)と云うイスラム教でも一番過激なスンニ派の原理主義教を採用している。デンマークの公共テレビ局TV2はCall to Islamがコペンハーゲンの街頭で「民主主義を廃絶して、 シャリーア法に基づいた全世界的な神権政治に置き換えるべきだ」と説教をしている場面を放映した。この法律は人権侵害も甚だしく,婚外の性的関係を持った女性には死刑が宣告されると云う。Jylland-Posten 紙は「デンマークの民主主義が損なわれる様な事が起きれば、我々はシャリーア法を徹底的に撲滅させる運動をする」と語っている。 英国ではすでに,12の都市でシャリーア法が勝手に適用されており、ロンドンは「ロンドニスタン」とイスラム風に呼び方を変えられている。東ロンドン地区は、イスラム教徒にはタワー・オブ・ハムレット(Tower of Hamlet)として知られており、イスラムの説教師は「タワー・ハムレット・タリバン」と名付けている。ここではイスラムの女性がニカブというスカーフを着用していないと"死刑"を宣告されるという。東ロンドンのこの地区に近づくと、道路には「貴方はシャリーア法が適用されるゾーンに入っています」という看板が目につく様になる。イスラム教を冒涜する様な広告には黒いペンキがスプレーされているという。 ベルギーでもオランダのアントワープ,ドイツ、フランスでもイスラム教の判事によって法廷が開かれシャリーア法で裁かれていると云う。ドイツの司法当局も全く手が出せないと嘆いていた。ヨ-ロッパのどのシャリーア法適用地区にもイスラムの宗教警察が巡回している。スペインのカタルーニャ地方で、ニカブを被っていない事で死刑を宣告された女性が宗教警察に連行されるところを、危うく土地の警察に助けられた。又へジャブを被らず、車を運転していたモロッコの女性を家ごと焼き殺すと脅かしたイスラムのイマーン(導師)は土地の警察官によって逮捕された。 しかし、デンマークの警察当局はヨーロッパでのシャリーア法の急拡大に対し認識不足であった。この9月にコペンハーゲン市委員会はヨーロッパで初めてのイスラム教の本格的巨大モスクの建設を許可してしまった。このメガ・モスクは二つのミナレット(尖塔)を持ち、高い建物のないコペンハーゲンで偉容を誇る事になる。コペンハーゲン市委員会はこのモスクの建設費用を誰が払うのか、注意を払わなかったが、イランの過激派イスラムAhlul Beitが建設するもので、シャリーア法によるイスラム教をヨーロッパ全般に布教するのが主な目的であるという。 今年7月23日ノールウェーで起きた銃乱射事件(76名の死亡者)はノールウェーやスカンジナビア諸国での寛容な移民政策とヨーロッパで進むイスラム支配に我慢がならず、アンネシュ・ベーリング・ブレイビクと云う右翼の男の単独犯行である事が判明した。彼は他のヨーロッパの極右団体との連携はなかったが、ヨーロッパの「多文化主義」と云う移民政策に否定的意見を持つオランダの過激派右翼政治家Geert Wilders(ヴィルダース)を尊敬していた。そして彼のFreedom Party(自由党)のみがヨーロッパで唯一の保守政党であると賛辞している。しかし、その他の右派政治家達はブレイビクは精神異常者であると距離を置きたがった。第二次世界大戦以前はヨーロッパ諸国の極右政党はナチスのユダヤ人嫌いとかハッキリした人種政策をもっていたが、戦後の右派政党は「移民問題を」語るだけでも、人種偏見だ,ファッシストと批判された。これは長い間,ヨーロッパ諸国でキリスト教民主同盟が政権を握っていた為で、右派政党はナチスのシンパ,又はファッシスト呼ばれない様努力してきた。つい最近まで、デンマーク、スェーデン、ノールウェーの右派政党は移民問題には一切触れず,いかに税金を下げるかに集中してきたという。キリスト教民主同盟が勢力を失った時、その隙間を埋めたのがイタリアのベルルスコー二首相でFini National Allienceや Umberto Bossi's Northern Allience等の ネオーファッシスト、反移民政策政党の支持をとりつけた。しかし、最近のイスラム移民の急激な増大は、イスラム移民の数が上回るのではないか神経を尖らせているヨ?ロッパ人にイスラムフォビア(Islamphobia: イスラム嫌い)現象を起こしている。 昨年スイスのチューリッヒ空港についた時,最初に目にしたのは「ブラック・シープ」の大きなポスターであった。羊の群れに一匹だけ混じっている黒い羊が地面に引かれた線から片足はみ出している。昔から黒い羊は目立つので迷惑者、嫌われ者として扱われてきた。これはイスラム圏の移民は出ていけと云うスイス右翼のプロパガンダである。スイスの右派のSVPは「黒い羊」理論をさらに進化させて、昨年11月の選挙ではチューリッヒ湖に若い白人女性4名を全裸でお尻をこちらに向けて立たせ、彼女らは固く手結んでいる。美しいチュリッヒ湖の景色と、くびれのあるウエストと張りのあるお尻、不潔な感じはしない。これともう一枚の「20年後」と云うタイトルの写真を対比させた。濁った湖水に、着衣のまま、ニカブと云うイスラムのスカーフを付けて水浴する移民の年配女性達の群れの写真である。今の様な寛容な移民政策をとっているとスイスはこのようになるという警告のポスターである。ヨーロッパの極右派のプロパガンダはもっと直接的になり、ドイツのポスターはアラブの千夜一夜物語の空飛ぶ絨毯の上にターバンを付けたアラブ人達を載せたイラストを描き、「アラブ人は空飛ぶ絨毯に乗って自国に帰れ!」と書いてある。さらに黒いオートバイの写真に「ガス(ガソリン)を用意してあるから、早く帰れ!」と書いてある。この場合、ガスはナチスが強制収容所で大量殺戮に使ったヘロンガスをも意味すると云う。ドイツに残っていたらガス室に送るぞ!という脅かしである。これまでのところ,ノールウェーの右派とスェーデンの右派が手を結んだとかの動きはなく、ドイツでも戦前の Waffen SSと云うヒットラーの個人警護部隊を懐かしむ人もいるが,ナチスに対する罪悪感が強く,少数の若者が頭をスキンヘッド(丸坊主)にして,ネオ-ナチ運動をしているが,おおくの若者は極右活動に走るより,サッカーのフーリガンになりたがる。 EUの2009年の統計によれば、EU全体が受け入れた移民は2千万人になり、そ の内8百万人が不法移民であると云う。EU自体、個々のデーターを集めてないので、イスラム系移民がどの位かは分らないと云う。EUの中で、フランスがイスラム圏内からの移民が一番多く、人口の8%を占める、続いてオランダの6%、ドイツの4%。英国の3%が続く。イスラム住人は都市部近郊に住みたがるので、大都市ではイスラム移民は人口の20%を超す事もある。オランダのロッテルダムやアムステルダムでは町の人口の50%を超えるという。EU内でのイスラム系の移民とその子孫は2千万人に達し、EU全体人口5億人の4%に達する。しかし、さらに増え続ける移民の流入、移民の高い出生率、それに較べ、低下する一方の欧州の出生率等で、ヨーロッパ内でのイスラム教徒の存在感はさらに顕著化すると見られている。ここにトルコのEU加盟が実現すれば、(EU はトルコの政教分離を要求している)、EU内でのイスラム教徒は7千万に達するとブルックリン研究所は見積もる。ドイツ政府はイスラム移民は20年後に1億人に達すると推測しており、イスラム移民がヨーロッパの大都市の人口構成の最大の存在となる事を危惧している。「イスラム教徒がもうすぐヨーロッパとアメリカを乗っ取る」と自慢してイスラム教の指導者もいるという。 イスラム系の移民は一般的に貧しい、これは相手国の言語を学ぼうとせず,大抵のイスラム移民は閉鎖的な社会を作るという文化的な事情によるものだと云う。成人に達し始めたイスラム系の移民の子供達は移民先の社会に順応すると思われていたが、彼等の親の世代より、移民先の社会に疎外感を持つ様になった。英国国民だとか、ドイツ国民だとかのアイデンティティーを持つより、自分たちはヨーロッパ?イスラム教徒だと云うアイデンティティーを強く持つ様になる。景気の悪化はイスラム系住人の高い失業率をもたらし,不満感を充満させた。犯罪に走るイスラムの若者も多い。2005年11月にパリ警察が北アフリカの十代の移民少年を誤射した事で、焼き討ち等の暴動が何一週間も続いた。またデンマークではJylland-Postenと云う新聞が2005年9月のイスラムの聖人ムハンマドを風刺する漫画を掲載した。世界の主な都市のデンマーク大使館がイスラム教徒によって焼き討ちに遇い、デンマークに対する抗議テロ行為がくりかえされ、この焼き討ちは2010年まで続いた。欧米の新聞はヨーロッパの民主主義とイスラム教の頑迷な教義の衝突だと報じている。 若いイスラム移民は英国で生まれ、英国の教育を受け、英国の福祉の恩恵を十分に受けていても,差別されているとホスト国を恨み,アルカイダ等の過激派イスラム思想に感化された。彼等はパキスタンにあるイスラムの過激派訓練学校に送られ、ジハード(聖戦)の思想教育を受けた。ジハードは元来イスラム教徒が信仰を迫害され、布教を妨害されたとき、武力に訴える行為で、自爆テロに訴える,戦死者は殉教者としてあがめられる。英国生まれのイスラムの若者は英国に対してジハードを決行した。2005年7月ロンドンの地下鉄の3カ所で同時爆発テロを起こし、56名がなくなった。2004年3月スペインのマドリードの列車爆発テロもイスラム過激派によるものであった。ジハードのネットワークはポーランドからポルトガルまで、ヨーロッパ中過激派イスラム教徒によって張り巡らされていると云う。オランダロッテルダムのコヒー店から、コペンハーゲン、ベルギーやドイツのハンブルグの見せかけの祈祷所、英国バーミンガムの本屋,ロンドン、ミラノ、マドリッド,マルセイユ等ジハードに進んで志願するスラム教徒の移民と彼等の子供をリクルートするのには困らない。2009年11月アムステルダムでの映画監督テオ・ゴッホ(画家ゴッホの弟の孫)は、オランダ育ちのモロッコ系イスラム教徒によって暗殺された。彼はヨーロッパでのイスラム女性のドキュメンタリ?映画を製作中であった。英国では100名ものイスラムテロリストがいると云う、彼等は今年4月行われたウイリアム王子の結婚式に爆弾テロを計画したが、事前に察知され,失敗した。彼等は2014年のロンドンオリンピックにジハードを計画していると云う。英国の政治家はイスラム移民を受け入れてから40年もたって初めて、自分たちの「受動的寛容政策」が誤りであったと認めた。キャメロン首相は今年「国民一般の価値観と正反対の行動をとるイスラム・コミュニティを許容してきたにもかかわらず、若いイスラム教徒は過激思想に感化された、これからは寛容主義でなく、イスラム教徒に積極的自由主義の教育を施す」と語っている。又ドイツのメルケル首相も昨年10月、ドイツの寛容な移民受け入れ政策は完全に失敗したと誤りを認めた。私は昨年英国では第二次大戦後、左派系政権が導入した医療制度、社会福祉制度、移民政策などユートピア的制度が全て破綻しているのを目にした。日本に戻ってきたら、民主党は政権を握って寛容な移民受入れ政策を取りたくてうずうずしているのをみた(1000万人の3K移民導入,年収が60万円の中国人に日本への観光ビザを認める,まるで貧しい中国人に不法移民をけしかけているようだ)、外国人参政権,人権保護法など、他国に日本の寛容な移民政策を見せたいのかもしれない。しかし、スェーデンのマリモ市の惨状見てから、寛容な移民政策がどのような末路を迎えるか,いかに高いコストにつくか判断してから決めて欲しい、 西欧諸国は今頃になって、イスラム教徒がホスト国の云う事を全く聞かない、聞く耳を持たない,これがイスラム移民の同化政策の失敗の主な理由だと気がついた。西欧諸国のイスラム移民はから送られてきたイマーム(導師)によって、結婚問題、子供の教育等生活全般の指導を受ける。ドイツに派遣された300人のイマームはドイツ語が分らず、話せず、ドイツ社会の事情も知らないまま、数年間ドイツに滞在して、本部に帰って行く。しかし3百万のトルコからの移民は何十年とドイツに留まる。イマームはドイツの事情は分らないけれども、ドイツにいるイスラム教信者を操る事は出来る。イマームは言葉で若い信徒にアルカイダやビンラディンに協力しろとか指示をだせる。ドイツ国内に2400ものイスラム教の施設がある、ミナレットで飾られた本格的なモスクも150カ所もあり、その他は裏通りにある小さな祈祷所である。ある学者は今までヨーロパの教育を受けたイマームはいなかった。イスラム教徒が今日のヨーロッパでどのように生きているかを、ヨーロパの大学にイマーン訓練センターを設置すべきであるという。 終 (柴田) |
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