ジャーナリストのパソコンノートブック
(58)タックスヘイブンの終焉

   金融危機により国庫への税収入は落ち込み,失業者が増え,株式市場は崩壊に近い中で,何百億ドルの納税者の資金が銀行の救済に使われ,銀行システムに対して納税者の怒りが頂点に達した時,世界の主要国は連係してオフショア租税回避地を利用して脱税を目論む富裕層のあぶり出しを始めた。金融危機で大型財政出動を強いられた主要国は脱税摘発を進める為に,タックスヘイブンの監督を強める事で合意した。同時に経済協力開発機構(OECD)作成の最新版“ブラックリスト”を公表する事で一致した。4月のロンドン金融サミットでブラウン英国首相は「タックスヘイブンの息の根を止める事にG20は合意した。大きな第一歩である」と興奮して語っている。OECDが作成した最新版ブラックリストは46カ国・地域が列挙された。情けない事に,OECDが過去に公表したリストはリヒテンシュタイン,モナコ,アンドラの3ヶ国だけであった。最新版OECDブラックリストは46タックスヘイブンを 1)税務情報の交換に協力的でない 2)OECDルールに従う用意があるなど3段階に分類。非協力的な国や地域に制裁を科す事で合意した。

    G20に集まった主要国の目的はタックスヘイブン資産隠しを暴き出す事ではない,20ヶ国が1.1兆ドルの危機対策で合意,規制強化を目指すのがG20の課題である。  今回タックスヘイブン(租税回避地)対策が大きく脚光を浴びた。批評家によればタックスヘイブンは「Red herrings」(レッド・へリング,燻製のニシンである,臭いが強烈で猟犬の訓練に使われた)である,つまり納税者の怒りの鉾先を銀行を救済する国家でなく,脱税する富裕層に誘導としたと云う声もある。

   これに先立ち,スイス政府は100年以上守ってきた「銀行機密法」の守秘義務の緩和を発表し,顧客の口座情報を開示する事を発表した。「守秘義務」を盾に世界中の富豪から資金を集めてきたスイスの銀行のタックスヘイブン(租税回避地)の信用が大きく揺らぎ始めた。スイスの銀行の秘密預金の殆どが脱税目的資産である。今年の2月18日スイス最王手銀行UBSが米司法当局と司法取引に応じ,内国歳入庁(IRS)に対する搾取・横領を認め,7,800万ドルの罰金を支払うと共に,脱税の疑いがある285人の米国人顧客の個人口座情報を提供することに同意した。ところがIRSは翌日2月19日にUBSに対して52,000件の顧客情報を提供するように要求した。このUBS事件が世界のタックスヘイブンに与えた影響は計りしれない。スイスばかりでなく,ヨーロッパアルプスの近隣国,アンドラ,オーストリア,リヒテンシュタイン,ルクセンブルグがタックスヘイブンの守秘義務の緩和を発表した。UBSに口座を保有していた米国人は極めて厳しい選択を迫られる事になった。脱税を認めれば,全ての資産を失う可能性がある。それを恐れて資金をUBSから他のタックスヘイブン(租税回避地)の銀行に送金すれば,マネーロンダリングの罪に問われかねない。秘密口座情報の公開により,米国フロリダでは脱税裁判が開始されている。4月14日UBSは今年の1―3月第一四半期で230億フラン(2兆円)の資金が流失したと報告した。秘密口座の情報公開に嫌気がさした世界の富豪が資金の撤収を要求し,同行が応じたためだという。

   厳しい財政状況の中,日本の当局も指をくわえて見ている訳ではない。報道によれば,4月8日,スイスは日本と米国との間で,租税改正交渉を始めたと表明。国税査察担当により脱税等の疑いのある日本人顧客の情報等調査が進んでいると云う。数万件に上ると云われる日本人口座を徹底的に洗う作業を進めていると云う。タックスヘイブンに資金を疎開させた資産家は追徴課税・罰金で全てを失った上に脱税で逮捕されることもあり,今ごろ真っ青になっている事であろう。タックス・ジャスティス・ネットワーク(TJN)と云うタックスヘイブンを監視している国際市民団体によると世界で11.5兆ドル(1100兆円)もの資金がタックスヘイブンに眠っていると推定している。4月に米議会にタックスヘイブン乱用防止法案を提出したカール・レイビン上院議員によると,脱税目的でタックスヘイブンに流れ出した米国庫資金は毎年1000億ドル(10兆円)に上るという。日本人関係の資産は数兆円あると云われ,主にスイス,シンガポール,香港,マカオ,モナコの銀行口座に避難されているという。景気対策で財政出動したくともどこにもお金がない日本政府にとって,数兆円の資金が回収出来,これから先タックスヘイブン銀行の守秘義務がなくなるので,金持ちは金を隠すところがなくなり,納税額が増えることになる。日本の税務担当官がタックスヘイブンでの隠蔽所得摘発に躍起となるのも無理もない。日本は現在,56カ国との間で租税条約を締結済みだがベルギーやオーストリアなどとの間では十分な情報交換規定がない。スイスとの条約改正が実現すれば,情報の交換に弾みがつく可能性がある。  

 タックス・ヘイブンは「租税回避地」と日本語に訳され,外国資本や外貨獲得の為,意図的に税金を優遇(無税,叉は極めて低い税率)して,企業や富裕層の資産を誘致している国や地域の事をタックス・ヘイブンと呼ぶ。タックスヘイブンを行なっている国には上記のヨーロッパの国々にくわえ,英領ケイマン諸島,英領バージン諸島,モナコ公国,サンマリノ共和国,カリブ海のバーミューダ諸島,バハマ,バージン諸島,中東ではドバイアラブ首長国連邦やドバイ等がある。もともとはカリブ海や大平洋の小さな島国等が産業が成り立たない為,外国企業を誘致する為に,優遇税制を導入したのがタックスヘイブンの始まりだ。何もしないでいると,自由化の波に飲み込まれて吸い込まれて行くだけの弱小の国々だ。一部タックスヘイブンには本国からの取締りが困難だと云う点に目を付けて,大富豪の所得隠しや犯罪組織のマネーロンダーリング(資金洗浄)の温床として使われているケースも多い。とにかくタックスヘイブンは先進国にとって厄介な存在だ。ライブドア-のホリエモンがタックスヘイブンに資金を隠したと云う噂が立った事もあったし。村上ファンドが拠点をシンガポールに移したのはマネーロンダリングの疑いが強いと見られている。巷のやっかみ半分の噂では竹中平蔵元金融財政担当大臣なども,タックスへイブンを活用していると云われている。以前竹中さんがある講演で正月1日に日本に居住していなければ,日本人でもあっても,1年以上海外居住者として,「日本の非居住者」扱いになり,日本の所得税がかからない。彼自身はは毎年正月1日に海外に居住を移して,海外に1年以上いるように見せ掛け,非居住者になっていると語った。私の知る限り,少なくとも二人の外国特派員が竹中さんを真似て,元旦に日本の非居住者になった。1ヵ月後日本に戻り,再入国,居住者の手続きを取るのに,書類手続きが面倒臭くて,よっぽどの所得がない限り,この税逃れは良い方法でないと云っていた。昨年末の「朝まで生テレビ」の番組で金融危機に関し,竹中さんは日本人はお金の運用に「もっとずるくなければいけない」とアドバイスしており,暗にタックスヘイブンの利用を示唆していた。我々の様に海外に隠す程の資産のないものにとって唯一の慰めは,竹中さん,ホリエモンも,村上さんのように,タックスヘイブンの情報開示に真っ青になる必要はないことだ。ロンドンでのG20の会議でマカオや香港を擁する中国がブラックリストの公表に猛反対したが,最終的に協力する事で合意をみた。一部のタックスヘイブンでは本国からの取締りが困難だと云う点に目を付け,暴力団やマフィアの資金や第三国からの資金が大量に流入しているといわれている。今回のG20のタックスヘイブン規制,ブラックリスト発表で動揺しているのは北朝鮮であろう。2005年米国は北朝鮮の米ドル札偽造の制裁措置として,マカオのバンコ・デルタ・アジアに預けられていた北朝鮮の2500万ドル(30億円)資金を凍結したからだ。北朝鮮の指導者金正日の長男の正男がマカオや香港をうろうろしている姿が度々目撃されている,資金の移動に苦労しているのであろう。驚いたのはOECDの新しいブラックリストのタックスヘイブンに非協力の国々のリストに,コスタリカ,フィリピン,ウルガイと共に,マレーシアが新顔として載っていた事だ。

  米国CBSの番組でアンドラ公国がタックスヘイブンの国として紹介されていた。ピレネー辺境の人口がたった75,000人,468平方キロメートルの小さな国に年間1,000万人の観光客が訪れる。付加価値税がたった4%(フランスは19.6%)なので,週末にはスパーマーケットに酒やタバコ,ガソリンを買いに周辺国(フランス,スペイン等)からどっと観光客の車が押し寄せるという。その為,周辺国と軋轢を生んでいると伝えていた。

   先進国でタックスヘイブン撲滅に一番熱心なのは米国である。2001年の同時多発テロ事件以来,テロリストの資金の流れの解明が最優先課題となっている,タックスヘイブンはテロ組織の資金金庫となっているからだ。この数年,米国やドイツの税務当局がスイスやリヒテンシュタインで所得隠しを目論む脱税者のあぶり出しに成功している。スイスの最王手の銀行UBSが今年2月罰金7億8千万ドル(800億円)を払い,脱税の疑いのある285人の米国人顧客口座を提供するまでの過程を米国の金融誌フォーブスは事細かに伝えている,まるでハリウッドのスパイ映画を見ているようなハラハラドキドキの展開である。

    事の起こりはロシアから15才で米国に移住したオリニコフがカリフォルニア州ニューポートビーチで不動産会社を設立,それが大成功を収め,巨万の富を築いた事からだ。1990年タックスヘイブンであるバハマに投資銀行を設立し不動産会社の所有権を移転して,殆ど納税してこなかったので,米内国歳入庁(IRS)の大物脱税容疑者のリストのトップに記載されていた。そこに近付いたのが,UBSのプライベートバンク担当のバーケンフェルドである。2001年バーケンフェルドはオリニコフに対して,UBSを介して,タックスヘイブンのリヒテンシュタインに信託会社を設立するように提案した。オリニコフは2億ドル(200億円)を信託会社や架空法人の名義でUBSに送金した。2005年末バーケンフェルドはUBSを退社することになったので,オリニコフに対し全財産をより守秘義務が高いリヒテンシュタインのプライベートバンクLGT銀行 (リヒテンシュタイン王家,国家元首代行アロイヤス皇太子の弟が頭取を務める)に移すように助言した。その時すでに巧妙に仕組まれた脱税スキームの全容が米国IRSによって解明されつつあった。オリニコフは突然IRSから貴方のUBSの口座明細のコピーを見たと云われ,2億ドルの預金の利息にかかる税720万ドルの脱税の可能性があると指摘された。オリニコフは刑罰を減免して貰う代りにバーゲンフェルドがUBSで行なったタックスヘイブンを利用したプライベートバンキングのカラクリに付いて,知っているすべての情報を提供すると云う司法取引に応じた。それによると,米国内にはUBSが送ったバーゲンフェルドの様な担当者が70―80人おり,観光客を装って米国に入国していた。ジャーナリストのMyret Zaki (ミレット・ザキ)さんによると,UBSの担当者はコードネームを使い,書類の携行は許されず,“手ぶら”で米国に入国する,暗号化されたパソコンを使い,プリペイド式の携帯電話を海外経由で通話し,滞在ホテルを頻繁に変えたという。

   2008年5月米司法当局はUBSのトップを事情徴収のために拘束し,オリニコオフの脱税幇助の容疑でバーゲンフェルドとリヒテンシュタインの信託責任者を起訴した。スイスに逃亡していたバーゲンフェルドも2008年5月出身地ボストンの高校の同窓会に出席しようとボストン空港に着いたところでFBIによって身柄を拘束された。バーゲンフェルドは司法取引を求めて,全面的に容疑を認め,米国の富裕層に脱税の手助けをした事実を裁判で証言した。米国のIRSはUBS追及の手を緩めなかった,バーゲンフェルドの証言に基づき, UBSのプライベートバンキング部門を統括していた最高幹部のラウル・ワイルが脱税の共謀犯として起訴した。ワイルは米裁判所からの出頭命令に応じなかった為,逃亡犯として国際手配された。かって世界一の優良銀行の幹部が逃亡犯として,国際手配されているのである。UBSの信用はガタ落ちである。

    世界の金融取引は「グローバル化」している,企業や富裕層がタックスヘイブンのペーパーカンパニーや,信託・財団を設立して資産を隠ぺいし,課税を逃れるようになった。租税回避は巨大ビジネスとなり,世界中の銀行がプライベートバンクと称してこのビジネスに群がっている。各国政府は必死に対抗手段を見つけだそうとしているが,銀行の守秘義務を盾に非協力的なタックスヘイブンの壁に阻まれ,摘発が出来なかった。そこで各国税務捜査官は隠蔽情報の共有化を進めた。「国境を超えた連携」は世界の捜査官の合い言葉となった。税務捜査の「グローバル化」である。この良い例がリヒテンシュタイン顧客名簿密告事件である。リヒテンシュタインでは登記された法人数が(ペーパーカンパニー)が人口の倍以上を占めている。リヒテンシュタインのLTG銀行の元データー入力係のハインリッヒ・キューベルが1400人分の顧客リストをDVDにコピーして,数カ国に売りさばいて数億円の報酬を稼いだ(現在国際手配中)。ドイツ公安当局は2008年初頭,顧客リストを420万ユーロを払って入手した。半数以上がドイツ人で,数週間で150人以上を家宅捜査した。その中には有数の企業であるドイツポスト(郵便・宅配の大手)のツムビンゲル社長も含まれており,辞任に追いやられた。ドイツの課税当局はLGT銀行に対し3000万ユーロの追徴課税を行なったと云う。英国の捜査当局もこの密告者(Whistle blower 口笛を吹く人)から情報を買ったと明らかにした。米国のIRSも一週間後にLTGの米国人顧客のリストを手に入れた。オリニコフへの脱税幇助で,リヒテンシュタインの信託当事者も起訴された。フランス当局はタイアメーカーのミシェラン社等を捜査中である。この様に各国の税務捜査官が連携して,情報提供に非協力のスイスやリヒテンシュタイン等のタックスヘイブンの分厚いベールを剥ぎ取り,状況を一変させたのである。

   スイスのUBS銀行は総資産180兆円の巨大銀行であるが昨年詐欺的CDO(債権担保証券)で大損失を出し,サブプライムローン関係でも,米大手銀行に劣らない程の損失を抱えている。破綻を避ける為,スイス中央銀行が不良債権の買い取りと公的資金投入で6兆5300億円投入したと報道されている。スイスの人口764万人の実質GDPは3880億ドル,日本のGDP4兆3666億ドルの9%の規模でしかない。スイスの一年分の国家予算6兆円で,UBSの不良債権処理に用いられた。UBSの総資産は180兆円でスイスのGDPの4.6倍である。自国のGDPの4.6倍の資産を持つ銀行を政府は救済しなければならない。スイスの立場はアイスランドと似ているのではないか。スイスはEUに加盟していないし,ECB(European Central Bank 欧州中央銀行)の枠組みにも入っていない,ECBもドイツもフランスも自国の金融を守る事で精一杯でUBSの救済に動けない。今年1―3月の第一四半期で,UBSは20億スイスフラン(1730億円)の赤字を計上している,そして8,700人の人員を削減した。今回のUBSの脱税幇助事件を機に,スイスの銀行機密法が終えんを迎えたら,金融立国スイスは不良債権や借金で国家破綻への道をたどるかもしれない,マネーロンダリングで栄えてきた国の終焉かもしれない。

   今年の正月まで株投資等をしきりに勧めてきた大手商社の元財務担当副社長の知人の電話がピタリと止まった。噂では大手商社は皆タックスヘイブンで国税庁の取調べを受けたと云う。まさか自分の個人資産まで海外のタックスヘイブンに預けたのではないのか? 国税庁から追徴課税を請求されたのでは? 武士の情けでこちらからは聞きたださないことにしているが……

終  柴田



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