ジャーナリストのパソコンノートブック |
(53)崩れ行く米国金融覇権 |
「グリーンスパン議長の凋落」 サブプライムローン問題に端を発する世界的金融危機について,米国の下院の公聴会で「前FRB(連邦準備理事会)議長として金融機関の過剰融資を規制監督しなかった責任を認める」と語ったアラン・グリーンスパンはまるで戦犯の様で,かって金融政策の絶妙な舵取りでマエストロ(巨匠)と呼ばれた面影はどこにもなかった。私はそれまでの長期的技術革新と大量生産で経済成長を可能にした旧来の「産業主導モデル」と,もう一方のグリーンスパン前議長の唱える金融緩和と市場放任主義で成長を遂げる「金融主導モデル」の覇権争いの偶然の目撃者となった,しかも私の東京の自宅に於いてである。私は1998年末に日本初の英文のIT雑誌『Jap@nInc』の編集者として招かれ,「日本のITベンチャーが投資家の注目を集め,投機の対象となった。株式新規公開によってベンチャー企業創業者が莫大な利益を手にして,株式公開ブームが起き始めている」と云う記事を書いた。この雑誌の記事はオンラインでも世界中に配信された。数カ月後,米国ホワイト・ハウス,科学技術研究開発局長が「貴方の記事はまさに自分が知りたい事が書いてある,東京に行くので詳しく教えて欲しい」というe-mail が入ってきた。住所はホワイト・ハウス,ワシントンとなっている。このメールが本物か信じられず妹に見せたら,「貴方かつがれているのよ!ホワイト・ハウスなんて,ワシントンのラブ・ホテルか,喫茶店じゃないの!」と云う。しかし,その局長は性急であった。彼は3日後,私のマンションの前に立っていた。彼の名詞に金の輪の中に白頭鷲というホワイトハウスのエンブレムが刷り込んであった。 「拙宅でで経済理論覇権論争」 科学技術研究開発局長は日本政府に要求する対日経済産業政策を策定していた。ホワイト・ハウス内の閣僚会議で「日本は1990年バブル崩壊からの回復が遅れ,いまだに金融機関が破綻する等,景気が低迷している。日本に残された成長モデルはインターネットなどの通信産業の育成が必要だ。ネットベンチャー起業が株式公開など資金調達をしやすくする為,新興企業の為の株式市場の整備が必要だ」と政策案を発表した。するとグリーンスパン議長は「IT産業育成に日本政府が関与する必要はない。米国がやったように(1998-1999)金融緩和をすれば,ベンチャー起業は低金利の創業資金を調達出来るし,投資家も投資資金を低利で調達出来る,あとは市場に任せればよい」と一蹴されたと云う。この局長が「日本の公定歩合はゼロに近い,これ以上金利操作する余地はない」と反論すると,グリーンスパン議長は「日銀が量的緩和をして,過剰流動性でジャブジャブにすれば良い」と語ったという。この局長は自分の専門分野である産業政策がグリーンスパン議長が主張する金融緩和政策,市場競争主義だけで押し切られるのに納得がいかず,怒り狂って,飛行機に飛び乗り,東京まで来てしまい,議長を論破する意見やデーターを集めようとしていた。私の書斎で「グリ?ンスパンの馬鹿やろう」と罵りながら,データーや関連新聞記事を探していた。 あとで分った事だが,この科学技術研究開発局長とグリーンスパン議長の論争はワシントンで起きていた経済理論の覇権闘争を物語る象徴的な出来事であった。グリーンスパン一派はフリードマンを軸とするシカゴ学派に属し,政府による様々な規制や調整を排して市場競争を無条件に肯定する「ニューエコノミー」を唱え,イージーマネー(金融緩和)を承認し,大量の流動性資金を出回らせて,巨額な投機利益を生み出す事を可能にした。世界の資金を自国に誘導し,一種の資産バブルを産む事で利潤を発生させた。こうして生み出された巨額の利益が,トリックル・ダウン(上から下に漏れ伝わり),需要が拡大する,それが生産を刺激するという論法であった。それは最終的にサブプライムローン問題を起し,金融派生商品が世界中にばらまかれ,今日時限爆弾のように金融危機を起し,世界経済全体を巻き込んで破綻した。 科学技術研究開発局長はこの時点でワシントンで台頭してきた「金融主導,市場競争モデル」が理解出来ず,グリーンスパンFRB議長によって自分のテリトリーを侵されたと気が動転して,東京の拙宅まで駆け付けてきたのであろう。しかし,この時点で,彼はすでに負け犬であった。彼の主張する「産業主導モデル」は製造業が長期的経営計画に基ずいて,設備投資や研究開発に投資して,国際競争力のある産業技術を育てると云うケインズ主義的経済理論であった。しかし,米国では低賃金を求め,中国やインド等に生産拠点を移し,産業の空洞化が起きていた。「金融主導,市場競争モデル」下では,資金を運用するファンドマネジャーは4?5年の短期で成果を求められ,企業経営はどうしても短視眼的になる,設備投資や研究開発への資金投資は長期的だと敬遠された。米国は世界最大の温暖化ガスの排出国でありながら,京都議定書から離脱して,温暖化防止の抵抗勢力となった。排気ガス規制や省エネ対策で研究開発を怠ったゼネラル・モーターズ,フォード,クライスラーのビッグ3自動車メーカーは日欧の自動車会社に遅れを取り,凋落の一途を辿ってきている。米自動車メーカーは政府の金融安定化法案で決めた7000億ドルの公的資金枠から250億ドルの支援を求めている。オバマ次期大統領は米国産業の屋台骨である自動車産業支援に前向きであるという。 「成長エンジンが無い米国」 米国は金融市場で過剰な資本が流入する一方で,製造業を中心とするモノ作りは衰退してしまい。米国内の成長エンジンを失ってしまった。日本のバブルが崩壊した1990年代,まがりなりにも日本は対外債権国だった。海外の資本引き上げにおびえる事もなかった。当時は世界経済を牽引するアメリカの大きな存在があったからだ。日本の外需依存の経済成長は低くても健在であった。しかし今日の巨大な経常赤字を抱える米国は外需依存で成長する仕組みをもっていない。オバマ大統領はブッシュ大統領のように戦争を仕掛け,戦時に強いアメリカ・ドルというシナリオは取らないであろう。 「グリーンスパンは常にバブルを求める」 グリーンスパンの「金融主導,市場競争モデル」は常にバブルを求めた。幸い米国では1999年から2000年初頭にかけて,インターネット関連企業の実需投資や,過剰な期待を寄せた投資家の過剰投資にによってITバブルが起きた。グリーンスパンFRB議長のイージーマネー(低金利)政策のお陰で,ベンチャ?創業資金や投資資金の調達ができた。通信関連銘柄が多いNASDAQ市場では平均指数が1996年に1000から2000年3月に5048のピークに達し,その後FRBの利上げを契機に2002年には1000まで暴落した。ITバブルの崩壊に懲りたグリーンスパン議長は,それ以降過度に寛容な金利政策を推進した。経済に少しでも陰りがでると「グリーンスパン・プット」と呼ばれる金融緩和を行なった。これによって「不動産バブル」が起きた。2000年からの5年間で製造業の雇用は17%減少したが,不動産業の雇用は58%増えた。不動産価格の上昇を前提に,買った家を担保にローンを借り入れる事が出来,消費に使われた。 2000年からの 5年間に住宅ローンの借入れは80%増え,クレジットカードの借り入れも60%増えた。 金融市場での過剰流動性下ではあらゆる種類の金融業が膨大な利益を享受していた,ヘッジ・ファンドやプライベート・エクイティ.ファンド,サブプライムローンの金融派生商品,ゾンビの様だと云われるCDS (クレディット・スワップ・デリバティブ)など金融工学を駆使した金融派生商品が市場で動き回っていた。ファンド・マネジャーはファンドを監督するだけで莫大な報酬を受け取っているとIMFに批判された。フィナンシャル・タイムスによると,ここ3年間国際金融会社の経営者の年収は950億ドル,ほぼ1000億ドルに達していた。現在の財務長官ポールソンがゴールドマン・サックスのCEOをしていた2005年上半期の報酬が1870万ドル(20億円),2006年に財務長官に就任する為,ゴールドマンから支払われた退職金が500億円と目を疑う数字であった。グリーンスパンの自由放任の金融政策は米国に収入の格差を信じられない程拡げたといわれる。米国の資産の半分は人口3億2千万人の内のたった400人の金持によって稼ぎ出されたものだと云われる。一般の人々も,自分達が金持ちになったと錯覚を起し,クレディットでどんどん消費した。米国の家計の過剰債務は4兆ドルの(400兆円)に達したと云う。これから米国人の貯蓄は過剰債務の解消に使われるので,消費には回らない。米国の消費をあてにしているアジアの新興国には深刻な問題となろう。 「米国への資金環流システム」 米国への輸出に依存していたのが,中国,日本,NIES (韓国,台湾,香港,シンガポール)とアセアン4ヶ国(タイ,マレーシア,フィリピンとインドネシア)である。これらの国々を合わせて,米国の経常赤字の半分に匹敵する黒字を出している。一方米国はイラク戦争など「テロ」との戦いに4400億ドル (52兆円)の支出をし,赤字幅は2005年には8000億ドルを超えた。1985年双子の赤字に苦しむアメリカにプラザ合意によって円高ドル安で米国の借金を帳消した時でさえ,米国の経常赤字はGDP(国内総生産)比3%であったが2006年にはGDP比7%に拡大している。これ程の経常赤字を抱えながら,ITバブル崩壊後,「インフレなき景気拡大」を続けてきた。続けて来られたのは米国に流入してくる膨大なの資金があるからである。変動相場制下では貿易赤字が拡大すれば,ドルが売られ安くなるはずである。ところが日本を始め,多くのアジアの貿易黒字国は,輸出代金をドルのまま,米国国債を買う等,米国に環流させる事で,「強い」ドルを支える政策をとった。その理由は黒字国にとっては輸出代金を自国通貨に交換すると,自国通貨が切り上がり,輸出採算が悪化する。そこで輸出代金をドルのまま資本輸出して「強いドル」を支えている方が輸出を続けて行くうえで有利だ。米国ヘの消費材の輸出や,投資で得られた黒字資金の殆どが再び米国に環流する。アメリカの投資の4分の3程度が海外からの資金流入で賄われており,アメリカへの純資金流入は2005年には97年比4倍近くになっている。物を海外から買っても,支払った額と同額の資金が米国に環流してくる,こんなに素晴しい事はない。これが米国の過剰流動性の根因だ。「インフレなき景気拡大」を享受する為,借金経済の命綱である海外からの資金流入をなんとか持続させなくてはならない。金利を高めに誘導し利鞘を求める外国資本の流入を促す必要があった。FRBは2004年6月から段階的な利上げを行なってきた。フェデラルファンド(FF)短期金利は2.25%から2006年5月には5%まで上昇している。金利上昇は住宅価格の崩壊を招き,住宅バブルは収束に向った。「インフレなき景気拡大」と云う二律背反した経済構造は維持出来なくなった。 「米国債を支えるのは中国だけ?」 米国は外国政府の金融政策の動きに神経質になった。日本と,サウジ・アラビア,中国が米国の財布となっているからだ。米ドルの下落により,これら三国が引き受けた米国債や州等の公債はいつ叩き売られるか分らない。2008年4月にポールソン財務長官は中国のチャイナ・デイリー紙上で「中国が米国の証券や国債を買い続けてくれて有難う」と感謝し,何度も中国に足を運んでいる。中国は貯蓄性向が強いので,輸出で稼いだお金でアメリカの国債を買った。11月18日に米財務省は2008年9月末中国が日本にとって変り米国債の最大の保有国になったと発表した。疲弊するアメリカ経済は中国マネーによって何とか救われている。中国の保有残高は9月末現在で5850億ドル。円に換算すれば56 兆7千億円だ(香港は含まない)。日本は5732億ドルに留まった。米国発の金融危機にもかかわらず,中国は9月に米国債の持高を436億ドル増やした,前月の買い増高の223億ドルの2倍である。中国の米国債の保有はこの8年で10倍に増えたと云う。 中国が米国債を引き受けるにはそれなりの理由がある。中国の対米貿易黒字は中国全体の黒字の6割強を占め,米国が中国製品の重要な輸出市場となっている。中国の巨額な対米貿易黒字に対する,米国の批判を抑えるためにも,米国債の保有を増やし,米国に影響力を持つ必要がある。米国債保有はは中国の戦略的武器なのである。米国国債が中国の人質に取られたというヒラリー・クリントン民主党議員の批判は当っているかもしれない しかし,中国は日本と同様に,米国経済と一連托生の運命を背負う事になりそうだ。中国は日本が経験したような”Vicious circle of No Win”( 勝ち抜け出来ない悪循環)のワナにはまりつつある。最近中国国内では中央銀行が米国債を買い続けるべきかどうかに付いて激しい議論が交わされている。米国債の市場価格は引き続き下がる可能性がある。又金融市場ではドル安観測も根強いため,米国債の大量保有はより大きな損失を被るかもしれず,国益に合っていないという反対意見がある。これに対して,もし中国が米国債を買わなければ,米国政府は新規発行の国債を売りさばく為,国債の収益率を大幅に引き上げる可能性があり,中央銀行が保有している米国債は大きな損失を被る,その為中国は米国債を買い続けなければならないと主張する。 これは日本が1985年のプラザ合意以降凄い円高圧力を掛けられ,円高を押さえるにはドル買い(米国債投資)を続けるしかなかった苦い経験だ。当時日本の金利を常に米国金利より3?4%低くして,日本の機関投資家が米国債投資で利鞘が稼げるように2.5%に設定した。大蔵省は日本の生保に無言の圧力を掛け。米国債投資を促した。私は「生保が米国債を買わなければ,ドル安になり,生保は為替差損を蒙り,評価損を出す。だから生保は米国債投資から抜け出る事はできない」という記事書いたが,NYの編集者は”Vicious circle of no win”(勝ちぬけ出来ない悪循環)と云う見出しを付けた。それ以降,日米間では金利差を常に3%開かせることになった,自動的に米国債に日本の資金が流れる仕組みだ。米国が2001 年のITバブル崩壊以後金融緩和をすれば,日本はそれに呼応して2001年9月から2006年7月迄「ゼロ金利」の据え置きを米国に押し付けられた。 日本が米国債の40%,毎年50兆円前後の米国債を買い支えてきたからこそ,米国人は過剰消費生活が出来たのである。日本の労働者がどんなに必死に働いても,一向に生活がよくならず,格差が拡大する秘密の一因がここにある。米経済戦略研究所のクライド・プレストウィッツ所長の「レクサスはいい車だ。トヨタは米国人に売っていると思っているが。我々は日本の車を日本人のカネで買っている。こんなにうれしいことはないが,こんなことがいつ迄可能なのか」と述べている。日本企業が必死の思いで生産性を上げ,省エネやリストラをして競争力を高め,黒字を稼ぎだしても,稼いだカネは米国人の過剰消費に回されてきた。 中国は米国に協力しているように見えて,かなりしたたかである,金融危機の9月に新規に買った米国債は殆ど3ヵ月から6ヵ月の短期のものである。6ヵ月国債が満期になる2009年2月に,米国債の暴落が起きるかもしれないと,専門家は語る。 1985年のプラザ合意で,1ドル240円から120円になった時,日本が保有していた米国国債の評価残高は半減したと云う。その当時20兆円の日本国民の資金が失われたと見られている。十年前橋本龍太郎首相が訪米時に大学の講演で「日本として米国債を売りたい衝動に駆られる時もある」と米国債への投資に否定的な見解を漏らして,物議をかもした事があった。日本政府も,金融官庁も,政治家も「日本が保有している米国債を売り払う」と云う手は「禁じ手」であるという。米国の恐ろしい力によって,個別に抹殺されるであろう。日本の指導者は命を脅迫されているという。 早く米国債保有のワナから抜け出して,日本も正常な金利政策をとれるようになって欲しい。 (終) 柴田 |
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