ジャーナリストのパソコンノートブック
(46)温水洗浄便座トイレの海外での苦闘の歴史
   温水洗浄便座トイレ,叉の名を「ウォシュレット」は電気炊飯器と共に日本に住んだ外国人が自国に持って帰りたい商品のトップに挙げられる。 こんなに便利で素晴らしいものなのに,海外の人に良さが分かってもらえない。日本での普及率は65%に達する。私の米国の友人達に電話,メールで尋ねてみても,そんなトイレなんて知らない,聞いた事もないと答える。ある雑誌から日本の漫画や寿司は短期間にあっという間に世界を席巻した,しかし温水洗浄便座トイレは米国で売りに出されてから20年近くも経つのに,米国人の99%は聞いた事が無いと答える,どうしてかなのか,海外の読者に説明して欲しいと云う執筆依頼がきた。取材してみると, トイレひとつで国によってこんなにも考え方が違うのかと驚かされた。
   ウォシュレットは最初に開発したTOTOの商品名であるので,海外では「ハイテク・トイレ」として紹介されている。水洗トイレが完備していて,清潔に気を使う米国民に聞いてみるのが一番手っ取り早いと調査を開始した。実は英国に住んでいた時,毎日シャワーを使う人に対して,周囲の英国人達は 石鹸(デオドラント)の匂いをさせるなんて,米国人みたいと軽蔑の意味を込めて話しているのを良く耳にしたからだ。確かに米国人は良くシャワーを浴びる。そしてジャクージ(噴流式気泡風呂)も床暖房も素直に受け付けている。しかしお尻の清潔に対しては無関心で冷たいのである。彼らによるとウォシュレットは400ドルから2000ドルもする,まるでお金を水に流してる様だ。必要無いと云うのが大方の意見である。またハイテク.トイレを使うと病気がうつるなどと,無知な米国人も多い。さらにハイテク・トイレはホモの人達が使うものだと決めつけ,使ったらホモに間違われないかと心配する人もいる。
    東京に銀行の支店長として務め,ロスアンジェルスで退職生活して10年の知人によると,彼の米国での交際範囲でハイテク.トイレを知っている米国人にはまだ出会った事がないと云う。彼自身は東京で慣れ親しんだウォシュレットを米国で引き続き使っているが,彼の家で始めて使ってみた米国人のゲストは皆素晴らしいとは云ってくれるが,その後買い求めるまでには至っていないと云う。TOTOの最新型のウォシュレット「ネオレスト」にFuzzy logic,いわゆる人口頭脳が搭載されており,トイレが使用のパターンを学習してして,会社勤めで留守にする昼間,就寝中の夜中などに電力を落とす省エネ型になり,人間が近付くとセンサ?が感知してトイレの蓋をあけるなどというロボ・トイレの記事が掲載されると,シリコンバレーで働く若者でさえ「これまでの人生で,これ程馬鹿げたIT技術の間違った応用の例を見た事が無い。なにがハイテクトイレだ! もっと生産的な使い方をしなくては!」という意見がネットに流される。 興味深いのは「トイレに搭載されたロボットがある日邪悪なロボットに変身し,反対に我々人間を奴隷として扱うようになる。我々は将来,トイレにこのような頭脳を与えた事を後悔する日が必ず来るであろう」という意見までネット上に流された。これは日本人と欧米人ではロボットに対する認識の違いをが象徴している。日本人はロボットを友達として考える。きっと手塚治虫先生の鉄腕アトムのお陰かも知れないが,ロボットは人間を助けてくれる存在として考えられている。私は以前TDKの九州工場でビデオテープの製造現場を見学した事があるが,広々した工場の床を巨大なロボット(ただの四角い箱)がカットされるまえの磁気テープのロールを運んでいた。作業中の2台のロボットには,各々に聖子ちゃん,百恵ちゃんと名前が付けられ,ピンクと青のリボンで飾られ,各々のロボットからカセットテープで録音された松田聖子,山口百恵の歌が流れていて,工員達はロボットに油を注したり,磨いたりと職場の仲間として扱っているようで,決して奴隷として扱っていなかった。一方,欧米のアニメや映画ではロボットが奴隷としてこき使う人間に対し反乱を起し,人間に恨みをはらす等と云う筋書きが多い。その内,人口頭脳を持ったハイテク.トイレが反乱を起し,「ロボ・トイレの逆襲」なんて荒唐無稽な映画がハリウッドあたりかで作られるかも知れない。
   TOTOは1990年に米国に進出したが,当初は全く売れなかったという。 米国の水道工事配管関係者に中々理解して貰えなかったという。温座シートは便座カバーの中に電気を通して温めると配管工に説明しても,理解して貰えず,「それは死刑に使う電気イスのようなものですかね?」と聞き返されたという。それからハイテク・トイレには電源が必要だが,米国の多くのトイレ室内には電気のコンセントが配置されていない,電気工事から始めなくてはならなかった。そこでウォシュレットは電気製品なのか,お風呂,トイレなどの衛生陶器製品なのかという論争が起きる。電気製品と衛生陶器製品では監督当局も,当局の規制も大きく異なる。米国での一番の障害はウォシュレットの代理店を見つける事であったという。米国では製造物責任法で訴えられ,巨額の弁償金を製造者や代理店に請求する例が多い。古くは濡れた飼い猫を乾かそうと電子レンジに入れ,ペットを殺してしまった女性が説明書にペットは乾かせませんと注意書きがなかったと云う理由で電子レンジメーカーを訴えて勝訴した例がある。体重が120キロ,160キロと超肥満になったのはマクドナルドのハンバーガーを食べ過ぎた為だ,マックのハンバーガーを過食すると肥満になると会社は警告していないと肥満児6人がと2002年に集団訴訟を起したが,裁判所それは本人達の責任だと敗訴を言い渡した。昨年はある弁護士がクリーニング屋でズボンを焦がされ,5400万ドル(67億円)の訴訟を起したがこれも敗訴した。このように何が原因で訴えられるか分らない訴訟社会の米国で,もともと必要性も無いハイテク・トイレを売った事で巨額な賠償金を取られたら堪ったものではない。水道配管業者は代理店になりたがらない。米国では新聞もTVもトイレに関する宣伝広告を一切受け付けて貰えなかったという。このメディアの自主規制は現在も変っていない。INAXの広報によると現在雑誌だけは広告を載せていると云う。米国ではトイレとか,お尻とか下の話を公共の場で口にするのは一切御法度,タブーの話題なのである。リ?ガン大統領時代,日本の大相撲が米国を訪問し,ホワイトハウス内で御前相撲をする予定であったが,リ?ガン大統領夫人の猛反対に遭い,キャンセルされた。相撲力士の裸のお尻を大統領官邸で見せる事で,歴史上汚名を残す大統領夫人となる事を嫌ったと云う。
   昨年7月TOTOは米国人のタブーを破るべく電撃広告を出した。タイムズ・スクエアの有名な看板広告塔に6人の裸のお尻を並べたものであったが,すぐマンハッタン地区の教会の反対にあい,白い太い帯のような線でお尻を隠すように変えられた。しかし米国TOTOのホームページには裸の6人のお尻の広告が掲載され,クリーン・イズ・ハッピーというタイトルが付けられている。 TOTOは日本で1982年「お尻だって洗ってほしい」というセンセーショナルなTV・CMで日本人のお尻に対するタブーを打ち破っている。米国で2匹目のドジョウを狙った様だが,米国人のトイレに対するタブーを変えるまでには至ってない様だ。
   TOTOのウォシュレットは英語では温座と便座の下に隠れているビデから温かい水のスプレーが噴出し,お尻を洗うと説明されている。米国人が抵抗感を持つのはこのビデと云う機能である。食わず嫌いではなく,使わないで嫌っているのである。不幸な事に,米国人はビデと云う言葉で良からぬ連想をしてしまうという。それは第二時世界大戦後,フランスを解放した米軍兵がBidet (ビデ)をフランスの売春宿で見つけ,米兵の中には母国に持ち帰った勇者もいたと云う。現代でもこれだけ保守的な米国人であるから,当時持ち帰ったビデはひんしゅくを買い,そのまま使われる事はなかった。フランスのホテルには普通の水洗トイレの横にトイレと同じような形のビデが備わっている,中央に噴水の様な栓から,水が吹き出て来る,つまり避妊,病気予防の為である。同室の日本人女性は「フランス人て嫌らしいわね!,お風呂やシャワーを使わないクセに,あそこだけきれいにするなんて!」と正直な反応を示した。普通の便座とビデではトイレの場所をとる。米国人のビデ嫌いは多分にアングロ・サクソン文化に起因するのではないかと米国の年配の知人は語る。第二次世界大戦後フランスに赴いた英国大使の夫人がビデをフランスの退廃文化の象徴,邪悪な文化としてひどく嫌い,大使館敷地内にあるあらゆる建物からビデを追放した。彼女が率先して行なった運動はDebidetfication(ビデ撲滅運動)と呼ばれたと云う。 第二次世界大戦後の米国は現在よりずっと保守的で,WASP (White AngloSaxon Protestant, 白人,アングロ.サクソン民族,キリスト教のプロテスタント) 至上の社会であったから,英国にならってビデは邪悪な文化とみなされた様だ。
    米国でハイテク・トイレを買った人達は日本に旅行した時ホテルで使った事がある,東京に住んでいた時使った事がある,米国にある日本料理屋で経験したという人達が多い。ローラ.スミスちゃんと云う18才の女の子は東京の叔父さんの家に夏休み1ヵ月滞在し,すっかり,ウォシュレットのファンになり,米国に帰って父親にねだったという。母親は「ビデ・トイレなんて,その上に座る事を考えただけで気味が悪い」と猛反対していたが,冬の寒さが厳しいボストンでたちまちウォシュレット派に改宗したという。実体験したり,口コミで売る以外に方法はないようである。一昨年あるハイテク.トイレの会社がシリコンバレーの経営者100名をセレブリティーとリストアップした。その内特におしゃべりなセレブ50名を選びだし,ハイテク.トイレを無償でプレゼントした。この作戦は見事に当ったようで,しばらくするとおしゃべりなIT企業の社長は新聞にハイテク・トイレがいかに素晴らしいか記事を投稿した。また彼らの会社のホームページや自身のブログにこのトイレが素晴らしいと云う記事が掲載されたと云う。このような口コミ作戦が効果をもたらすのかもしれない。2005年12月に歌手のマドンナが訪日した折り,記者会見で,日本の便座の温かさが懐かしかったと語り,その後米国で求めたと云う。映画俳優のウイル.スミスも日本からハリウッドに戻って直ぐハイテクトイレを取り付けたと云う。レオナルド・ディカプリオも最近ネオレストをNYで求めたと
云う。彼はグリーンな(環境に優しい)俳優として売り出している為か,ハリウッドで一番最初にトヨタのプリウスを求め,アカデミー賞の授賞式に乗り付けた。トイレも節水型の環境に優しいものを求めたらしい。
   米国人の間にもハイテク.トイレのダイ・ハード.ファンがいる。このトイレの清潔感を出来るだけ多くの米国人に味わってもらいたいと云う。日本のメーカーは音楽が流れるとか,自動的に蓋が閉るとか,"Bells and whistles"(ベルの音だとか,ヤカンにヒューヒューという音を出すなどの不必要な装置をつけること)に一生懸命だが。そんな事より,米国内にもっと代理店のネットワークやショールームを作って欲しい,そしてアフターサービスもしっかりして欲しい。これら代理店の技術水準はとても満足の行くものでないと云う。
   海外と云ってもハイテク.トイレの市場は意外に限られているようだ。ヨーロッパはフランスの古典的ビデが圧倒的に強いので,日本のメーカーも参入を躊躇っている。TOTOは2009年からドイツでウォシュレットを売る予定であると云う。英国,ニュージーランド,オーストラリア,アイルランドなどの国々は電気のアンペアー数が高いので,水を使うところでは電源コンセントを設置してはいけないと云う法律がある。ハイテク.トイレを一番使って欲しい国々では,下水道が発達していないか,叉は水不足である。私は数回バリ島やインドネシアに旅行した事がある。空港のトイレでドアの前に靴やサンダルが履き捨ててある。空港の女性職員がトイレから出てきたが,裸足で,まるでシャワーを浴びたようにびしょびしょである,スカートの後ろに水がしみ出している。男性でも,ズボンのお尻のあたりが濡れていて,たった今トイレに云ってきたと明白であるが恥ずかしがる事ではない様だ。バリ島のデンパサール空港のトイレでさえ,水桶が置いてあり,柄杓で水をお尻にかける。イスラム教の国々や,インドのようなヒンズー教の国では柄杓の水を流しながら左手でお尻を拭う。だから,左手はトイレ専用,右手は食事専用の手と決まっている。おまけにインドではカレー料理を食べる時,フォークやスプーンを使わず,右手の指で器用に御飯をまとめながら,カレーの汁に付けて食べている。私の妹は早稲田大学の仏文科を出て,ソルボンヌ大学に留学し,パリで日本の商社に雇われたのは良いが,アルジェリアの支社に送られた。アルジェで水洗トイレが備え付けてあったのが彼女達日本人が住んでいるアパートだけで,そこに大臣や政府高官が住んでいた。パーティ等で挨拶をする時,必ず相手の役職を確かめてから握手をしたという。大臣級の人物なら,彼女のアパートに住んでおり,水洗トイレを使っている,その他の人々は左手がトイレットペーパー替わりと云う事になるからだ。いくら高級ホテルに泊まっているとしても,従業員がこのような方法で用便を済ましていると考えるだけで恐くなる。バリ島で一緒にジャングル.ツアーをしたオーストラリアの女性2名がひどい下痢をおこしていた。ウォシュレットなら左手を使わなくて良い,これこそ解決法である。TOTOの広報マンに聞いてみたら,イスラム教やヒンズー教もウォシュレットにたいしてはなんの規制もしていないという。TOTO もINAXもインドの新興金持ちに対しハイテク・トイレの販売に力を入れ始めている。
   日本のメーカーはグリーンな(環境に優しい)トイレの開発に力をいれている。TOTOのネオレストは洗浄水量が従来の13Lから5.5Lと少量化に成功し,従来の便器にくらべ65%も節水し,水道代は年間13,058円安くなると云う。TOTOは日本より先に中国で世界で一番節水出来るモデルを開発した。この洗浄水量は4.8Lで従来の水量6Lのモデルより20%の節水出来ると云う,これは中国政府当局の環境関係の規制強化に対応出来るモデルであるという。中国はこの夏のオリンピックに続き,上海万博も控えておりかなりの需要が見込めると云う。

  (柴田)


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