ジャーナリストのパソコンノートブック
(33)外人の奥さんはつらいよ!


   東京は新しく赴任して来る外国のビジネスマンにとって天国である。食べ物は美味しく、「接待」と云う男同士のビジネス慣習があり、綺麗なおね?ちゃんがいるバーやキャバレーに連れていかれる。しかし彼らの奥さんのほうは気が気でない。夫が美しい日本人の秘書と浮気をしているのではないか、美しい日本語の先生とレッスンと称してデートしているのではないかとストレスは溜る一方である。
   以前ロンドンに住んでいたとき、あるカクテルパーティーに招かれた。すると1人の中年婦人が、自分も以前東京に住んだ事があると自己紹介してきた。彼女は私が加わるどの会話グループにも入り込んできて、「皆さん、日本女性には気を付けて、貴女の御主人を盗んじゃうから!」と嫌がらせを云った。
一晩中私に付きまとい、嫌がらせをいう。パーティのホスト(主催者)に「一体、彼女は何者か?」ときいてみた。彼女は夫の赴任で東京に住んだ事があり、夫が日本女性と浮気したので、離婚に至ったという。その江戸の恨みをロンドンの私に晴らそうとしたのだ。
    さらにもっとスリラ?じみた事件があった。当時私は会社が用意してくれたシティ(金融街)に近いバービキャンという英国にしてはモダンなアパートに住んでいた本格的コンサートホール、劇場や映画館も併設されており、昼休みに勤め先のフィナンシャル・タイムスから戻ってきて、お昼のコンサートを聞く事もできた。
     ある日、エレベータの中で、5-6才の女の子の手を引いた婦人に話し掛けられた。彼女は東京に住んだことがあると云っていた。しばらくして、私の玄関のドアの前に新聞紙で包まれたものがおいてあった。開けてみると、血だらけの魚の頭と骨であった。日本のように日常的に魚を食べる国では、魚の匂いが当たり前で、気にはならないが、英国のように魚を食べない国では、猛烈に魚臭い。何か日本人に対して侮蔑のような物を感じた。またしばらくして、魚のアラを包んだ新聞紙を玄関ドアの前に置かれた。このエレベーターは1?5階まで、各階一戸の住人しか利用しない。ある時乗り合わせた老婦人に、子供を連れた婦人がこのAブロックに住んでいるかどうか聞いたところ、その女性は英国の航空会社の御主人と東京で暮らしていたが、御主人が日本人秘書と浮気した為、離婚した、だから日本女性に恨みを持っているのではないか、腹いせに、魚のアラを置いていったのではないかと云う解釈であった。
   あまり気色ばんで文句を云うのも大人気ない、さらに嫌がらせがエスカレートするかもしれない。そこで、「魚の頭と骨を置いていってくれてありがとう。飼い猫のプープーがとても喜んで食べました。、出来たら魚の骨より、フィレ(魚の身)の方がウエルカムです」と書いた紙を玄関ドアに貼っておいたところ嫌がらせは止んだ。
    外国人にとって、東京は昔から結婚生活のリスクの非常に高いところである。東京在住の外国人の為にトーキョー・ウイークエンダ?という英文のタウン誌があり、昔ジョアンナ・イトウというコラムニストが外国人の奥さん達に、「貴女の御主人を日本女性に寝とられないように」と色々指南するコラムを書いていた。例えば、夏休みには御主人を絶対1人で東京に残して里帰りしては駄目だ、御主人の日本語の先生は日本人男性にすべきだなど10箇条の教えである。このジョアンナ・イトウの指南書は東京に赴任して来る外国人の奥さん達に代々引き継がれて読み回しされていると云う。
    英国や米国の独身の女性も東京は地獄だという。英国大使館の若い秘書は人生の伴侶を見つけなくてはいけない大事な時期に、東京勤務になり、同国人のEligible Bachelor (結婚適齢期の独身男性)と巡り会う機会が少ない。東京に赴任して来る英国の独身男性は皆に日本女性に心を奪われて、振り向いてもくれないと文句タラタラである。確かに彼女らが美しい時期は短い、すぐおばさんくさくなる。英国大使館でもこの数年結婚が成立した7件とも、日本女性との結婚だと云っていた。昔の英国外務省では日本女性と結婚したら出世は見込めないといわれ、外交官を諦め、ジャーナリストになった人を知っているが、今はそうではない。
   また日本の若い女性と競いあうために、痩せようと必死になってダイエットする。無理なダイエットも彼女らをイライラさせる一因だ。以前ジェーミ?という英国人のスキー仲間がいた。彼は英国紳士と云うより、無茶な冒険家であった。正月に富士山に登る計画を立て、麓から、頂上まで、6時間かけて真直ぐに登った。頂上で履いていたかんじきを担いで行ったスキーに変えて、即滑り降りてきた、体重が一日で5キロ減ったといっていた。スキーに行ってもゲレンデで滑らず、林の間や、谷間の胸まである深雪を好んで滑った。雪崩を起すと云う注意を無視する彼にスキーパトロールは警察のパトロールカーのサイレンで追い掛け回した。最後には私の通訳の仕方が悪い、貴女を逮捕しますなどと八つ当たりされた。このジェーミ?がデートすると云う、相手は米国大使館勤務の女性だ。私が週末葉山の海の家に行く時、一緒に車に乗せていってくれると云う。車中で、香水をぷんぷんさせ、陳腐ともいえるロバータ・フラックの甘ったるい曲をかけこの米国女性は彼とのデートに勝負を賭けているという感じだ。私はこの前にシャンペンパーティーがあり、普段あまり酔っぱらわないのに珍しく酔っぱらってゲラゲラ笑いが止まらず、下手なジョーク連発していたらしい。これがお馬鹿なジェーミ?に伝染して、彼は彼女が醸し出そうとするロマンティックな雰囲気に乗らず、私のジョークに付き合い、頭がおかしくなっていた。
彼女が予約した葉山のヨットハーバーにある、フランス料理店でも、ジェーミ?はゴキブリを見つけたと云って、床を這い回りナプキンで叩き始めた。他の客のテーブルの下までもぐりこみ、レストラン中ナプキンを振り回して這いずり回った、これで彼女のロマンティックなディナーは台なしになった。ある英国人にどうしてあんなにお馬鹿なジェーミ?に米国女性が真剣になるのか聞いてみた。すると彼の家柄が公爵家であるので、英国の家柄に憧れる米国女性なら必死になって結婚したいと思うだろうという答であった。
   それから一ヶ月後、あるパーティで「I know you! Yoko Shibata」(見覚えがあるわ、シバタ ヨーコ!)と見覚えのない女性にいきなり耳をひぱられた。よくよく見るとあの時の米国大使館の秘書の女性であった。たった1ヶ月で倍以上肥っていて、見る影もなかった。こんなに肥っていると云うことはジェーミーとのデートが上手く行かなかったのであろうか。彼女によると、あのデートの為にすごく痩せる努力をしたのに、貴女のお下劣なジョークでデートが滅茶苦茶にされた。ヤケ食いで、ダイエット前より肥ってしまったと怒っていた。その後数回彼女を見かけたが、彼女は肥ったままであった。
   東京に勤務していて30代の後半に差し掛かった女性はもっと深刻である。友人のバーバラは公認会計士として働いていた。会計士と云う資格がアルから、どこに行っても食うには困らない。家もすでにオーストラリアに買ってあり、貯金も十分にある。ただ待ってくれないのは自分の赤ちゃんだけだ。彼女も30代後半、妊娠出来る時期は限られている。しかも、東京では白人男性は皆日本女性に夢中で、ボーイフレンドは出来そうもない。そこで既婚の日本人弁護士と付き合って、男の赤ちゃんを授かった。彼女は日本人の男性の家庭を壊す気もない、親権などと面倒なことが起きる前にオーストラリアに戻って云った。
同じ頃、オーストリアの女性は商業銀行東京支店長の夫が次々と日本女性と浮気を繰り返すので、離婚した。彼女の実家はかなり名家でワイナリーを持っていたので、そのワインの東京での輸入販売会社を経営していた。彼女も40近くで、子供が生める期限が迫っていた。子供を作るには今しかないと日本人の既婚者と付き合い、男の子をもうけた。すぐウイーンに戻り、その後結婚して幸せに暮らしていると云う。独身の日本男性であると真剣になられて、結婚とか、子供の親権とか面倒な事になりそうなので、相手にしがらみのない既婚の日本人男性を選んだと云う。彼女らは日本のサラリーマンの奥さんにはなるのは無理だと云う。
    この頃外国人女性がこんな心境になったのは当時NHKで「ジンジャー・ツリー」と云うドラマが放映されており、それに影響されたのではないかと思う。これは英国でベストセラーになったOswald Wyndの "Ginger Tree"という小説をTVドラマ化したものである。ストーリーは中国の義和団の乱の後、英国軍人と結婚する為にスコットランドから北京におもむいたメアリー・マッケンジーは日本軍の将校栗浜と出会い恋に堕ちる。逢瀬を重ね、栗浜の子を妊娠してしまう。外聞を重んじる英国人の夫に本国に送還される寸前に栗浜の用意した船で日本に逃れた。栗浜は伯爵家の家柄で、本妻もおり、結婚は許されない。妾の身分で男の子を出産した。しかし、赤ん坊は生まれてから直ぐ、栗浜の本家に引き取られ、2度と抱くことは出来なかった。 彼女は日本で洋裁を始め、デパートで洋服販売の担当になり、段々と自立した女性となった。第一次世界大戦、関東大震災、そして日本は軍国化していく。第二次大戦中シンガポールに逃れた彼女に栗浜大尉の手紙を届けに来た若い士官が訪れる。彼女は一目で、この若い士官が産んですぐ取り上げられた息子だと分かった。その士官は明日フィリピン、ルソン島からゼロ戦(カミカゼ機)に乗る予定だと誇らしげに語った。このドラマは日本に在住の外国人女性の感涙を誘った。
     米国や英国では奥さんが夫のビジネス上のもてなしに重要な役割を果たす。大抵は自宅の夕食にビジネス相手を奥さんと共に招待する。そこで奥さんの料理、会話など社交術の技量が問われる。すべて夫婦単位で行動するので、夫だけキャバレーでもてなされる事はない。
    バブル時代に英国から来たばかりの投資銀行の支店長は日本の証券会社などの取引相手からの夜の接待を断った(丁度、大蔵省の役人のノーパンしゃぶしゃぶが問題になった時期であった)。彼には金髪で若い奥さんがいた、上流階級の出身で、チャールス英皇太子にも追っかけられた程の美人である。彼は夜の接待の代りに、米国流の朝食会を日本の証券会社の課長さんに申し出て、自分は妻を連れていくから、彼らも奥さんを連れてきて欲しいと頼んだ。日本の証券会社の課長さんの方は大騒ぎである。 奥さんは前日美容院で髪をセットしてもらい、新しい洋服も買ってもらい、そして、郊外の家から、都心のホテルでの朝7時の朝食会に間に合わせなければならない。
   この英国の投資銀行の支点長のやり方は日本の証券会社にひどく不評で、日本企業の発行する外債の引き受けシンディケート団には招かれなかった。結局この奥さんは御主人の為に何もすることがなく、生け花やお茶などの習い事だけでの退屈な生活に耐えかねて、英国に戻ってしまい、離婚に至った。
    東京で困るのは外国人の御夫婦をもてなす場所が少ないことである、フロアーの片隅にピアノとか、ジャズの演奏がうるさくないぐらいに流れ、酒を飲みながら会話が出来る場所が丁度よい。私は外国人のカップルを招く時はビートルズのそっくりさんが懐かしいビートルズナンバーを演奏していろキャバンクラブと云う店につれていって喜ばれた。
    ある晩日本企業コンサルタントがカナダの貿易大臣を夕食にもてなすので、通訳して欲しいと頼んできた。彼は夕食後大臣夫妻をフロアーショウがある赤坂のキャバレーに連れていった。ホステスが客1人1人についた。大臣夫人についたホステスは大臣夫人のももに手をのせる。大臣夫人は「やめて!」とホステスの手を払い除ける。しかしホステスは長年の習慣で、すぐ手を大臣夫人のももに戻してさする。 大臣夫人はついに切れて、もしカナダの新聞にホステスが彼女のももをさすっている写真を撮られたら、「大臣夫人、東京でレスビアンのご乱行!」と大きな活字が目に浮かぶ。次に選挙は落選間違いなし怒鳴って帰ってしまった。 私も、ホステスが大臣を口説くのにいちいち通訳を頼んで来るのに馬鹿らしくなって大臣夫人の後を追った。
   (終)


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