ジャーナリストのパソコンノートブック
(31)食べ物のうらみ


   私は大英帝国が拡大できたのは英国人が食べ物に文句を付けないから、植民地を維持できたという持論を張っている。英国人は保存が聞くベーコン、キドニ?ビーンズ、現地で手に入る卵などがありさえすればどんな植民地の生活でも我慢できるからだ。
   ロンドンの和食レストランで焼き魚定食を注文する、日本だったら
600円ぐらいの焼き魚定食がポンド安で2,500円とため息をついていると、日本人サラリーマンがロンドンに来てどのぐらい経ちましたか?と聞いてきた。1ヶ月だと答えると、こちらの食事のまずさに日本人が発狂しそうになるのが大体1ヶ月目だと笑っていた。私は20年前にもロンドンに一年近く住んだが、その時も食べ物に絶望的な思いをした。いまだに英国の食事のまずさは改善されていない。大抵の会社にはカンティーン(社内食堂)がある。どの料理にも素晴らしいフランス名がつけてあるが、味の方はお粗末だ、ローストビ?フは上質の柔い牛肉で皿に乗らないぐらいの大きさで盛ってあるが、味付けはしてない。これにグレビーソースと西洋ワサビを付け、付け合わせの野菜を頼むと、大きなお玉杓子一杯のくたくたに煮込まれて、姿も形もなくなったキャベツやほうれん草、マッシュ・ポテトの付け合わせを盛り付ける、野菜も味付けなし。最近ロンドンに行った時、どうして英国人はキャベツがドロドロになるまでに煮るのかが分かった。英国のキャベツの葉は凄く固いのである。日本人ならすぐ品種改良して、柔らかい葉のキャベツを作るであろうが、英国人は頑固でそんな事はしない。圧力釜でドロドロになるまで煮るのである。リンゴも野生のままのミカンサイズである。これが日本だったら、大きくて、芯に蜜が溜る程甘いリンゴに品種改良するのにと思う。リンゴの品種改良に関しては次のようなジョークがある;英国人は品種改良せず、リンゴの原種に固執する;日本人は品種改良して、甘く、大きなリンゴを作る;米国人はリンゴの茎が長くなるよう品種改良する、摘み取る時電動カッターを右から左に動かせば、茎が長いので一度に大量に収穫できる、機械化の為に品種改良する。
   それでは中華料理はどうかと、ソ?ホ?近くの中華街に行って春巻きを注文すると、春巻きの皮はパイ皮の様に分厚く、これを揚げるとフランスパンぐらいの大きさになる、醤油も、お酢も、マスタードも添えられてない。味の全く分らない英国人の客に甘やかされてきたせいか、本来の中華料理も本来の味を忘れている。
   実は英国にも美味しい食べ物があるのだが、下手にすすめると自分の出身を間違われるのが恐くて我慢している人が多い。ロンドンのシチー(金融街)のど真ん中にシルバー・スプーンというタラコを食べさせるレストランがある。日本のタラコのように色を付けてない生タラコを薄切りのトーストの上に塗り付けたもので、シャンパンや白ワインと一緒に食べる。この店に連れていってくれた人は必ず「僕はユダヤ人ではないけれど、美味しいタラコを食べさせるユダヤ人の店があるけれど」と断わりをいれる。さらにテームズ川の下流に中ノ島の様なところはあり、イタリア人がスカンピと呼ぶ小エビが沢山捕れる。川岸では捕れたエビをそのまま釜茹でにして、大きな紙コップに入れて売っている。そのエビをたべながら散歩するのも楽しい。しかし、友人達はこの食べ物はロンドンのワーキング・クラス(労働者階級)の食べ物だからと遠慮がちにすすめる。美味しいものを素直に美味しいと言えない事情があるらしい。
1985年にフィナンシャル・タイムスのロンドン編集部で働いていた時、ソニーの社長さんがロンドンを訪れ、記者会見をした。ロンドン在中の日本人記者達は一斉に英国の食べ物のまずさを訴えた。それならとソニーの社長さんはスペインのバルセロナでの工場の竣工式に、ロンドン在中の記者を招いてくれる事になった。真夜中にバルセロナのホテルに着き、まだ営業しているレストランを紹介してもらった。最初に出て来た料理が雲丹の殻の上半分をとり、生クリームをいれて、軽く火を通したもので、あまりの美味しさに涙が出そうだった。英国以外の国々では人々はこんなに美味しいものを食べているのか、なんて不公平だと思った。
    どの英国人に聞いても、オエ!と気持ち悪くて吐く真似をする食べ物がスコットランドのハギス(Haggis)だ。羊の胃に臓物全部とオートミールを混ぜたものを詰めて煮たものであり、羊とその内蔵の匂いが強く、英国人の友人は納豆と塩辛を混ぜた様だと云う。郷土愛の強いスコットランド人はお祭りや正月などの祝い事がある度に食べる。Googleでハギスを検索すると、いきなりスコットランドのバグパイプの曲が流れてきて驚いた事がある。2005年の英国でのサミット会議はスコットランドのグレンイーグルズで行なわれた。ここでブレア?英首相とブッシュ米大統領はハギスがスコットランド人以外には受け入れられない味と知っていて、シラク仏大統領をからかう事にした。このハギスはスコットランドの名物料理だとシラク大統領に熱心に薦めた。ハギスを一口食べたシラク大統領は「英国料理はまずい!」と外交的でないコメントを外交の頂上(サミット)会議で発したのだから、直ぐ外信で流され物議をかもした。
   どうも味覚は子供のころから訓練しないとデリケートな味が分らなくなるらしい。以前ロンドンの建築設計家の友人宅に一夏居候した事があった。彼は料理本を何冊も書くくらいだから、食べ物にうるさい。彼の奥さんは二人の子供の夕食に大きなポテト一個ずつオーブンに放り込んで、バター、マヨネーズ、叉はケチャップをかけたものを食べさせ、寝室に送り込む。他の家庭に夕食に招かれても、子供の夕食はほぼ同じで、今年ロンドン勤務になったばかりの日本女性も、彼女の上役の家庭で子供にマヨネーズをつけたポテト一個だけの夕食にショックを受けたと云っていた。建築家の友人はポテトにマヨネーズとケチャップをつける事を許したと奥さんをひどく叱っていた、子供がケチャプなどの人工的で強い味に慣れて、味音痴になったらどうするのだ、子供が労働者階級の人間と思われたらどうすると文句を云っていた。確かに英国のパブなどで労働者階級の人と思われる男が、フィッシュ・アンド・チップス(タラなどの魚のフライとポテト)にパブ中がむせるぐらいの量のお酢をかけ、ケチャップと、アスタードをたっぷり付けて食べているのを良く目にするし、政治諷刺漫画にも良く描かれる光景である。以前東京の外国特派員クラブで昼食はバンガーズ・アンド・マッシュ(ソーセージにマッシュポテト)を毎日食する英国特派員がいた。彼もケチャップをたっぷりかけて食べるので周囲の英国の特派員は眉をひそめていた。しかし彼は優秀なジャーナリストであったので、本社の外報部長に昇進した。外報部長となれば、貴族だとか企業のトップなどとの会食の機会もふえる、会社側からバンガ?ス・マッシュや、ケチャップやお酢をかける食習慣は改めるようにとお達しがあったと云う。英国BBC放送の東京特派員からロンドン本社の重役に昇進したオーストラリア人がいたが、ロンドンに着任する前に、スイスのマナー(お行儀)学校に1週間寄宿し、食事のマナーから、理想的なメニューの選び方、ワインの選び方まで特訓されたと云う。彼はオーストラリア人を馬鹿にしていると怒っていた。そのオーストラリア人にスイスのマナー学校でのグリーンピースの食べ方の作法について聞いてみた。するとフォークの背にのせたり、面倒な事をせずに、フォークで豆を突き刺して食べるのが正しい食べ方だと教わったと云う。これを聞いて私の30年間来の疑問が解けた。1975年にエリザベス女王が訪日の折、京都の料亭で食事をなさった。英国大衆紙の女王専属の記者達は女王がどのようなものを食べているか、箸を上手に使っているか代わる代わる見張りに出かけた。一人の記者が戻って来て、女王は箸を使って食べているが、グリーンピースを食べる時は、箸をわし掴みにして、豆を一個ずつ箸で突き刺していて、上手く行かず、グリーンピースがあちらこちらに散らばっていると報告した。日本人だってグリーンピースを箸で食べるのは難しい、女王様も箸で刺して食べるなんて可愛いと思っていたが、オーストラリア人によると、フォークに突き刺し食べるのが正式ある以上フォークの代りに箸で突き刺すはあながし間違ってはいないという。
  一昨年英国のTV料理番組で有名になった若いシェフ、ジェーミ?・オリバーが英国の学校給食制度に大革命を起した。私も丁度TVでその番組をみていたが英国の公立学校の給食はひどい、皿にみじめな解凍ピザの一かけ、ソーセージ一本、キドニービーンズの缶詰、解凍ほうれん草、叉はキャベツ、マッシュ・ポテトなどである。オリバーは給食のおばさん達に今まで新鮮な野菜を使って料理した事があるかと聞くと、学校の給食室では温め直す設備しかないと云う。そこで彼は生徒一人当り60ペンス(120円)増やせば、給食のおばさんが料理した新鮮な野菜料理一品増やせる。英国の子供の健康の為にも政府に予算を組んでくれと運動を始めた。ロンドン郊外の労働者階級地区の小学校では給食費に一人あたり37ペンス(74円)しか予算を組んでおらず、公立学校の余りにも貧しい給食事情を恥じた政府は新たに2億8千万ポンドの予算を計上し、子供の学校給食改善に取り組み始めた。この予算の中には給食のおばさん達に料理を教える費用も含まれている。英国政府もこの貧しい学校給食はフランスや他のヨーロッパの国々に対して恥ずかしい。フランスの学校給食はミシェランの三ツ星レストランのシェフが料理指導したもので、前菜だけでも10種類の料理から選ぶ事ができるのである。ジェーミー・オリバーの給食改革は米国にも飛び火して、ニューヨーク州では110万人の児童の給食をより健康的にするために、サラダバーを設け、ビーフパテは大麦入りパンに塗り、脱脂粉乳のミルクは本物の牛乳に変えた。米国では学校給食がまずいと、子供達は学校内の自動販売機のアイスクリームやクッキーを買い、学校内で販売しているマクドナルドやピザハット等のファーストフードに走り、肥満や糖尿病の原因になっている。 これからは読み書きを教えると同時に、健康的でいられる食事という授業を設けなくてはいけないと教育者は語る。  (終)










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