ジャーナリストのパソコンノートブック
(25)侮辱的な言葉
ビル・メンテナンス  2006年9月号


  ワールドカップの決勝戦でフランスのジダン(Zidane)選手が、イタリアのマテラッチイ(Materazzi)選手に頭突き(head attack)を食わせ、ジダンがどんな侮辱的な言葉を受けたか、世界中の関心を呼んだ。当人の母親を侮辱する言葉は良く使われ、慣用句の様になっているので別に怒るような事では無い。ジダン選手も母親を侮辱するだけなら、慣用句と我慢したかもしれないが、彼のお姉さんまで"Fratello di Pattane" (売春婦の姉)と侮辱されると、かなり現実的な侮辱になり、頭突きにまで発展したものと思われる。最初読唇術でテロリストの息子と解釈されたが、これは"FraTELLO"の部分をテロと間違えたものである。
   私は最初に働いたABC TVの支局長がよく母親を侮辱する言葉を吐いていたのを思い出す。意味も分からず、辞書で探しても載っていない。とにかく彼が"Son of a bitch" (ソノバビッチ)と怒鳴っていたら、今日は大変機嫌が悪い、低姿勢でいなければと身構えていた事を覚えている。"Bitch"とはメス犬の事で、相手を選ばずくっつくので、売春婦の隠語となり、「売春婦の息子」と最大限の侮辱語となる。しかしTVや映画では犯罪者が余り頻繁に口にするので「あの野郎」とか「馬鹿」くらいにしか思えない。
   英語の小説を翻訳していて、一番困るのが、日本語には原文に相当する
侮辱する言葉、卑猥な言葉が圧倒的に少ない事だ。大抵は「馬鹿」、「畜生」、「くそ!」でごまかしているが、日本語にすると迫力がない。海外赴任をした人に聞いた話しだが、二人の息子が英語で喧嘩すると、侮辱する言葉や卑猥な言葉を駆使して、かなり迫力があったが、日本に戻って日本語で喧嘩すると間の抜けたものとなってしまうとのこと。
   カリソンさんと云う米国の特派員がいたが、彼は喧嘩早い事で有名だった。(現在米国で引退生活)。戦後直後に日本に来た特派員の例にもれず、日本語を話そうとはしなかった。英語ではひどい侮辱の言葉を口にしていた。東京に赴任してきたばかりのBBCの特派員は彼に喧嘩を売られ、泣き顔で「彼がああいう性格の人だと、誰か前もって教えてくれれば良かったのに」と文句を云っていた。日本人に向かって、英語で侮辱の言葉で怒鳴っても、相手が意味が分からなければ、無駄である。日本語で怒鳴りたくても、日本語には汚い言葉が無い、かなり欲求不満の生活をしてきた様だ。それが分ったのは、ある事件だった。ある時大蔵省の定例記者会見のあとに、カリソン氏が車で来ているので、事務所まで乗せてくれるという。彼のジャーナル.オブ・コマース新聞東京支局は私の働いていたフィナンシャル・タイムスの特派員事務所の隣で日経新聞の8階にあった。カリソン氏は当時60才ぐらい、白いカイザー髭を生やし、いつもハバナ製の葉巻をくわえていて作家のヘミングウエイのような風貌だった。そして、何十年とブリティッシュ・グリーン色のムスタングのオープンカー(ほろ付き)を運転していた。彼の奥さんはこのビンテージカーの維持費の為に、給料のかなりの部分が使われると文句を云っていた。カリソン氏の威厳のある風貌とムスタングのオープン・カーはトラックの運ちゃんを刺激したようで、幅寄せの様な意地悪をされた。すると瞬間湯沸かし器のように怒ったカリソン氏がトラックの運ちゃんに日本語で怒鳴った、それも「クルクルパー」と片手を頭の上で回すアクション付きである。どうも外国人は日本語のなかで一番相手を侮辱することばが「クルクルパー」だと思い込んでいるふしがある。私の友人マリオン(外交官夫人)も車に当て逃げされた時、逃げ去る車に向かって「クルクルパー!」と怒っていた。 日本人にとってクルクルパーはコメディアンが始めた言葉で、余り強い侮辱語ではない、むしろ笑いを誘ってしまう。若いトラックの運ちゃんにとって「クルクルパー」は時代遅れの表現で通じなかったようだった。そこで私がカリソン氏に日本語には"swear word", 罵りのことばが足りない。英語には母親までも持ち出して軽蔑する言葉までもあるのにと云うと、カリソン氏は「そーだ!日本にもあの言葉がある」と車をトラックの横に付け、運ちゃんに向かって怒鳴り始めた。今度は「バーカ、お前の母-さん、でべそ!」である。トラックの運ちゃんは白いカイザー髭に、葉巻きをくわえた威厳のある外国人がまさか「クルクルパー」とか、「お前の母-さん、でべそ!」と子供のような言葉を使うとはと思わず、そのギャップの大きさに笑いくずれていた。 フランスのジタン選手も「お前の母サン、でべそ!」位の侮辱の言葉であったら頭突きはしなかったであろう。   
  一番良く使われる卑語はFで始る四文字である。昔英国大使夫人が、その言葉云わずに「あの方はF.wordを沢山お使いになる」と上品におっしゃったので、「この表現は頂き!」とそれ以来 F.Word (F言葉)を使わせてもらっている。米国のTVニュースである大企業の重役が社員にF.wordを使って罵った事で、訴えられ、会社側は巨額の賠償金を払う事になったと伝えていた。TVのニュースキャスターは重役が罵った言葉は事実であるので、そのまま紹介すれば良いのに、最初から最後まで"F.word"で通していた。私は自分の表現方法が間違っていないのに安堵した。
   今でも存在するかどうか分からないが、昔六本木の防衛庁の近くにカソリック教会の修道院があり、日本に布教にくる修道士は地方のカソリック教会に派遣される前に一年間日本語を勉強しなくてはならない。若い修道士にはアイルランド人が多かった。彼らは別に宗教的な信念に燃えて、神父になろうとしたのではなく、アイルランドの子沢山の貧しい家庭が口減らしの為に、教会に(息子を)送り込まれたのである。その近所にアイリッシュパブがあり、特派員達と出かけた時、ひどく酔っぱらっている若い修道士達と議論した事があったが、彼らは一つの文章を話すのに、なんと13回もF.wordを使ったのである、この人が本当に神父になる人かと唖然とした。彼らにとってF.wordは卑猥とか、侮辱という意味は無く、形容詞を強調する為に用いているのである。「ひどく熱い」(Fxxx.ing hot)とか。「ひどく寒い」(Fxxx.ing cold)と強調する為に使う。「でも大丈夫!と神父は云う、日本語にはF.wordに相当する言葉がないので、地方でお説教する時は礼儀正しく、丁寧な日本語になると云う。
   以前特派員仲間と夏休みに青森の恐山の取材に車で出かけた。野辺地付近で村で一軒だけのよろずやの様な店を見つけ、やっとジュースやサイダー等の飲み物にありつけた。特派員の一人が店の隅で面白い布を見つけたと喜んでいる。木綿の布に英語がプリントしてある。店のお婆さんは「英語の綴りが間違っているらしい。安くしておくよ!」と云った。その英語は多分"Good Luck" (幸運を)とプリントする積もりであったものが、"Luck"の"L "が"F"に間違えている。東京や大都市ではこのミスプリントの布を処分できないから、外国人の目に触れそうもない東北の片田舎で処分しようとしたらしい。特派員達はこの布を反物のまま買い占め、ネクタイ、札入れ、シャツを作って、米国や英国の友人に送ると大騒ぎであった。残念だったのは、この布でモンペを作って農作業しているお婆さんの写真を撮ろうとしたが、見付からなかった事だ。この頃フィナンシャル・タイムスでは毎年発行する日本特集の最初のページに田植えをしている農婦の写真が使われていた。編集部に日本関係の写真のストックが無い為か、田植えでかすりのモンペのお尻をこちらに向けている老婆の写真が3年連続して使われていた。さらに悪い事に、エコノミスト誌(系列の雑誌)までも同じ写真を表紙に使っていた。支局長はこの農婦のお尻がきっと魅力的だから毎年同じ写真を使うのだと冗談をいっていた。もしこの老婆がかすりのモンペでなく、間違って印刷された英語のモンペを着て、紙上でそれが虫眼鏡で辛うじて読める位の大きさの文字であったら、最高のジョークになると思ったからだ。
    最近になって、"F.word"や、母親を侮辱する汚い言葉を使わなくても、相手をぎゃふんと云わせる表現方法を学んだ。ある晩米国のTV局の特派員がひどく落ち込んで、プレスクラブで飲んでいた。前の晩に、自分が一生立ち直れないくらいひどい事を云われたからだという。米国から訪ねてきた友人を連れて、六本木に飲みに出かけた。するとバーのカウンターにプレスクラブで良く見かける女性記者二人が飲んでいる。彼は女性記者達に一緒に飲まないかと誘った。二人の女性は何か真剣に話すことがあるらしく、申し出を断った。このTV局の特派員は低音でセクシーな声の持ち主として女性に人気があり、彼も自信をもっていた。諦め切れずに、もう一回誘ってみた。すると一人の女性記者がしつこい誘いに切れて、"You have a deep sexy voice, but you have a face which only your mother can love" (貴方の声は低くて、セクシーだけど、貴方の顔は貴方のお母さんしか愛せない顔だ)と、彼が2度と立ち直れない位の一撃をくらわせた。この表現をいつか自分も使ってやろうと思っている最中、ウオールストリート・ジャーナルでもっとすごい表現を見つけた、ある経済犯のプロファイルが書いてあり、そこに"He has a face which only Godzilla's mother can love" (彼はゴジラのお母さんしか愛せない顔をしている)。このゴジラはヤンキースの松井選手の事ではない、怪獣のゴジラである。残念な事に、この記事には写真も似顔絵も添えてなかった。
   「ちくしょう!」とか、「くそ!」とか、スキーのモーグルで転んだり、ウンドサーフィンで強風にあおられ海面にたたきつけられた時、女性でも罵る言葉を発したい時がある。そこで、英語でやってみたが、私は英語圏で暮らしているので、周囲にびっくりされた。そこでドイツ語なら大丈夫とドイツ語で罵る言葉を吐いてみた。慣れてしまうと、フラストレーションの解消にとても便利な表現だ。何年もたってから、ドイツ人の友達が、どうして貴方はスキーで失敗した時、ドイツ語で「クソ!」と云うの、長い間気になって仕方がなかったと云う。ドイツ語以外の言葉で罵ってといわれ、今度はフランス語か、イタリア語にしようと思っているが、これら、ラテン系の言葉はアクションを伴うので、余り派手にしたくない、小声で、罵る言葉を吐くだけで十分なのだけど。  



                                         (終) 柴田

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