ジャーナリストのパソコンノートブック
(17)英国飲酒習慣
ビル・メンテナンス  2006年 1月号
   
   英国のジャーナリストの平均年令は48才だと云われている。 多量のアルコール摂取で寿命を短くしているためだ。英国の新聞社の本社を訪れると、編集局長、外報部長と昼食の招待を受ける。必ず昼食に指定するのが近所のワインパブ(叉はワインセラー)である。こちらは空腹でいつ食事を注文するのかと待っていてもワインを3本ぐらい空け、やっと2時頃になってターキーとか、パートリッジ(ウズラ)の冷製肉とサラダと云う軽い食事がくる。さらにポートワイン一本を食後酒として空ける。昼食が終わるともう4時近い事もあった。やっとアルコールから解放されて、友人宅に真っ赤な顔をしてふらふらになって戻ると、友人は「Yoko, またリキッド(流動性)ランチをとったのね!」と皮肉を云う。何とか夕食の約束までに酒気を抜いて夕食の招待に出かけなければならない、本当に肝臓を酷使する訪問となる。
   オーストラリアのコメディアンのバリ?・マッケンジーは酔っ払いのゲロの事を "Technical Yawn" (総天然色のあくび)とか "Liquid laugh" (流動性の笑い)とかすごい表現力を持っている。外国特派員クラブでも役員の選挙当選発表の夜は勝った者も負けた者もシャンペンをふるまい、何ダースも消費する。翌日の昼、どのテーブルでもBloody Mary (トマトジュースとウオッカ)を二日酔いの迎え酒(the hair of the dog)が飲まれている。 Bloody Mary (ブラディ・マリ?)は英国の女王マリー 一世がカソリックのスペインのフィリップニ世と結婚して新教徒を多数殺害した事で、トマトジュースの色を血に見立て「血のマリ?」呼んでいる。迎え酒の"Hair of the dog"は奇妙な表現だが、古代ローマ人は "cure for a dog bite was the burned hair of the dog that bit you"(犬にかまれた傷を直すには、噛み付いた犬の毛を燃やしたもので治せる)と信じていた。二日酔いを覚ますには、前の晩に飲んだ酒と同じ物を飲めば良いは酒飲みの論理である。そこで犬の毛が迎え酒になった。
   アルコールを大量に飲む外国特派員達と付き合ってきたが、気分が悪くなったり、二日酔いになったことがない。私も多くの日本人と同じく、アルコールを消化するenzyme(酵素)を持っていないので、すぐ酔いが回るが、危ないな?と感じた時点で突然その場から消えて家に戻る。英国ではパーティ-などのホスト(主催者)に「さよなら」も云わずに帰ってしまうのは"French leave"(フランス式おいとま)と云ってマナー違反と評判が悪いが、フランスでは当たり前の事である。フレンチ・リ?ブに似た言葉に "AWOL" がある。これは"Absent Without Leave"の頭文字を取ったもので、無許可上陸、無許可外出は17世紀のフランスの海軍や陸軍では当然であったという。今日では"AWOL"は無断欠勤、無届欠勤を意味する。英国人は悪い事は全部フランス式……と呼ぶのが好きだ。例えばFrench letter (フランスのお手紙)は避妊具の事、もちろんフランス人はLettere Angrais (英国人のお手紙)とやり返している。
   英国では空にしたワインやビール瓶をDead Soldier (死んだ兵士)と呼ぶが、オーストラリア人は空になった瓶をDead Marine (死んだ水兵)と主張する。このように死んだ兵士の数を数えながら英国のジャーナリストは48才で死ぬのであろう。今年ジャーナリストの寿命をさらに縮めるような法改正があった。1914年の英国のパブ・ライセンス法が92年ぶりに緩和され、パブの営業時間がこれまで夜の11時までが、自由に設定出来るようになったからだ。大抵のパブは1時とか2時まで営業する予定だという。この1914年の法律は大英帝国時代、英国の工場労働者が飲み過ぎて働かなくなるのを防止する法律であった。今回の法律改正でアルコール中毒が増え、政府の医療保険負担が増えるのではないか、さらに繁華街で深夜の犯罪が増えるのではないかと心配する声もある。
   英国のパブは日本のようにアルコールを飲ませるだけの所ではない。各コミュニティの中心的役割を持ち、それはその地区の教会の役割に近いものである。特に田舎のパブは素晴らしい、ぱちぱち燃える暖炉の側でゆったりとビールを飲む。英国のパブの歴史はエールビールの歴史である。青銅器時代にすでにエール(麦芽醸造)ビールが飲まれていたという。ローマ人の占領時に街道が整備され、ローマ人が去った中世に、街道の乗り合い馬車の旅行客の為に旅籠屋が作られ、それがエールハウス(エールを飲ませるパブ)となった。今日のパブの始まりである。エール(麦芽醸造)ビールはラガービルより強い。一番強いエールはアルコール分が12度もある(日本のビールは5.5度)。スコットランドのインバネスで飲んだエールは40度近くあり、ウイスキーと変わらない。  
  私は若い頃ダーツを真剣にやっていて、その頃東京在住の外国人の間で、ダーツのトーナメントがあった。私は外国特派員協会?ロイズ銀行チ?ムに属し、大使館チーム、横浜の山手にある横浜カントリークラブのチームと試合をした。横田基地まで行き、米兵チームとの試合をした。個人では女子の部で準優勝して、ジャパンタイムスに名前が載った事もある。だから英国に行ったら是非とも本場のパブでダーツをしたいと思っていた。しかしロンドンのパブでダーツをするのは階級制のためか、至極むずかしい。私の友人のAPダウジョーンズの特派員は米国人ながら、東京で3年連続ダーツのチャンピオンになった。彼はロンドンに転勤になったとき、ダーツが出来るようにとチェルシー地区(高級住宅地)のパブのすぐ隣にアパートを買った。英国でダーツをするには、ダーツボードが飾ってあるパブリックのバーに入らなければならない、そこは主に労働者階級(ワーキングクラス)の人々のバーで、saloon (サロン)とは仕切られている。友人はダーツしたいが為に2年間パブリックの方に入り、ダーツをしたが、英国の労働者階級の人々は非常に仲間意識が強く、閉鎖的でダーツの試合の相手になってくれなかったという。この近くにブリティッシュ・レイランド自動車工場労働者の集合住宅があり、彼らの父親も、そのお爺さんも同じ工場に勤め、代々同じパブに通っている。会話も彼らだけが分かる内要で、よそ者は入る隙がない。その他のパブを訪れてみたが、ダーツができるパブリックはもっと雰囲気が悪い、泥だらけ、ぼろぼろの作業着を着た男や、アル中でふらふらした男ばかりで、恐くて入れない。ある晩友人が私を使って失地回復を図った。その前夜、別の友人が私の歓迎会をやってくれ、この仲間は皆貴族の称号を持つ人達で、「アナベル」という会員制のディスコクラブに連れて行ってくれた。各々コンパートメントが穴蔵の様に仕切られていて、とても暗く、プライバシーが保たれていた。私達の隣に故ダイアナ妃と義理の妹サラ妃が来ていたが声は聞こえなかった。(彼女らが帰った後にマッチ箱が置いてあったので、記念に持ってきた)。翌日米国の友人はビールのマグをフォークで叩き、パブ客の関心を集め、「ヨ-コは昨晩アナベルに行ったんだって!」と発表した。途端パブ中の人が寄ってきて、ダイアナ妃はどうだったか?サラ妃はどうだったと質問を浴びせかけてきた。人々が私を見る目が変わってきて、友人はこれがきっかけでダーツのチームに入れて貰えた。ダイアナ妃がアナベルに遊びに行っている事はゴシップ紙に毎日の様に書かれていた。ダイアナ妃はこのようなワーキングクラスの人達のアイドルなのだ。
   パブは英国のテレビ局のソープオペラと呼ばれる主婦向けの連続ドラマには欠かせない場面となる。例えばITV局のコロネーション・ストリートというドラマで、日本ならさしずめ「一丁目一番地」で、ローバー・リターンというパブを中心として、人間模様を描いている。BBCの連続ドラマ「イースト・エンダ?」ではクイーン・ビクトリアと云うパブが有名である。エリザベス女王はこれらドラマに出て来るパブのセットをわざわざ見学しに行っている。私はパブで使われる挨拶で日英の歴史文化に関わる大発見をした。このプロジェクトXは恥ずかしい調査なので発見までに20年かかってしまった。実際に、又ドラマの中で交わされるパブの挨拶がとても気になっていた。冬パブに入って来る男達はもみ手をしながら"Brass monkey weather" (真鍮の猿の天気だなー)と挨拶をする、パブリカン(パブ経営者)も"Brass monkey"と合図地をうつ。どうも、「今夜はひどく寒いねー」と云う意味らしい。ある時英国人に「ブラス・モンキー(真鍮の猿)」の由来を聞いてみた。すると"It is so cold that could freeze the balls of a brass monkey"(とても寒いので真鍮製の猿の置物の睾丸が凍り落ちてしまう)を短縮して、「ブラス・モンキーの天気だ」になったと云う。このブラス・モンキ?はどうやら「見ざる」、「聞かざる」、「云わざる」の三猿の置物らしい。ポートベロ・ロード等の骨董市に出かけると三猿の置物を良く見かけた。「…..しざる」と動物の「さる」を掛詞にしているので、この三猿は日本が起源である事は確かだ。私は長い間、明治初期に日本を訪れた英国人がお土産に持って帰った三猿の置物だと思っていた。それ以来日光の東照宮の欄間に彫ってある猿や、その他猿の彫刻の股間を観察したが、日本の猿は英国人が強調するような、寒くて凍り落ちるシンボルは付いていない。ある時プレスクラブで、エコノミスト誌のバレリー前特派員と、JALの前アジア広報部長のチューダ?氏と飲んでいる時、10年来の疑問をぶつけてみた。すると明治初期に英国に持ち帰った三猿の置物は当時金属や鋳物産業が盛んであった英国北部ニューカッスル地方の工場で模倣され、真鍮製の三猿の置物が大量に作られたと云う。時代的に19世紀後半ジャポニズムと云って日本の浮世絵等がヨーロッパの印象派の絵画に大きなインパクトを与えた時期で、日本の歌磨呂の浮世絵が男性のシンボルを誇張して描いてあり、その影響で英国人は三猿のタマタマを凍り落ちる程大きく作ってしまったらしいとの事。英国人は日本人が模倣すると批判するが、猿真似をしたのは英国人である。ところでエリザベス女王はTVドラマで使われる"Brass monkey weather"の言葉の由来を御存じなのかしら?  
                                         (終)

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