ジャーナリストのパソコンノートブック |
(11)老婆心ながら |
ビルメンテナンス 2005年7月号 |
先日地下鉄のプラットフォームで化粧をしていた若い女性を注意した年配の婦人が逆切れされ、大怪我をする事件が起きた。最近若い女性が電車のなかで、化粧道具を広げて、無我夢中で顔の再修理に取りかかる姿を見かける。私の心配は行儀が悪いとかでなくて、彼女らの行為は海外でとんでもない誤解を招くと云うことだ。この女性が性犯罪などに巻き込まれても、男性側は彼女が公衆の面前で化粧をしていた、だから彼女の方から誘ってきたからと無罪を主張できるからだ。数年前英国から来た銀行家二人を連れて奥志賀にスキーに出かけた、私達3人は4人乗りのゴンドラに乗ることになった、一人分の席の空きがあったので、一人で来ていたOL風の若い女性と同乗するように云われた。二人の英国人は若い女性が同乗してきたことでうきうきしていた。ゴンドラが動きだすや否や、この若い女性はスキーウェアーのポケットから、化粧品ポーチを取り出し、入念なメーキャップ修復作業に取りかかった。仕上げにかなり濃い口紅を何度も塗り直した。あっけに取られた私達を前に 彼女は恥じらいを全く見せなかった。頂上から滑り降り、ニ度目のゴンドラに乗ろうとしたら、またその女性と同乗することになった。彼女は頂上までの10分間再び念入りに化粧の修復作業に専念し、やはり口紅を何度も塗り直していた。山頂に着いた英国人達はあの女性は明らかに自分達を意識して口紅を塗っている、今度会ったら幾らで相手をしてくれるか聞いてみると云い始めた。男性の面前であのようにあからさまに口紅を塗るのはロンドンでも、モスクワでも、ローマでも、ニューヨークでも「自分は売春婦です」というユニバーサル(世界共通の)ボディ・ランゲージだと言い張り、「ごちそうさま」と習ったばかりの日本語を使っていた。「きっとあのOLは雪焼けが恐かったからだ。もし彼女が商売をするのなら、東京から何度も電車やバスを乗り換え、こんな経済効率の悪いところで商売するはずがない」と私は彼等を諦めさせたことがあった。 海外では生活習慣の違いで勘違いされる事がしばしばある。ドイツの製薬会社の日本支社で30年間働いている友人のウイルヘルムは日本語が堪能なのでしばしばドイツやオーストリアのウイーンに音楽留学する日本のお嬢様の下宿の世話を頼まれる。ところがこれらお嬢様がとんでもない理由で下宿屋から追い出される事があるという。これは日本の嬢様が毎日お風呂に入るからという理由だけだ。ドイツ、フランス、オーストリアではお風呂に入るのは一週間に一度位で、毎日お風呂に入るのは売春婦だけだと下宿屋に疑われるからだ。もちろん彼はこれらお嬢様が小さい時からピアノやバイオリンのお稽古でお金を使い、東京の偉いピアノの先生に見てもらう為に週に一度四国や九州から飛行機で通い、音楽大学に入り、ヨーロッパでの音楽留学と物凄く大事に育てられてきた事を良く知っているので、風呂に毎晩はいるのは日本では美徳だと下宿屋を納得させるのに大変だと云っていた。 確かにヨーロッパ人は余り風呂に入りたがらない。昔フランスの公爵家のプリンセスが2ヶ月程私のマンションに泊まっていたが、彼女は風呂も、シャワーも一回も使おうとはしなかった。彼女はフランスでもスペインに近いアラゴン公爵家のプリンセスで、由緒ある家柄の出である。プリンセスは黒い髪をもち、大きなすみれ色の目をした華奢な女性であった。さっそく英字新聞などの社交欄に「この写真を見ると、彼女はハリウッドの女優かと思えるぐらい美しいが、実はフランスのプリンセス・マルキーズ・ダラゴンである」と紹介されていた。さっそく東京在住の外国人男性、特に年配の米国人から、毎日のようにコンテッサ(公爵家のプリンセス)をお食事にお招きしたいとか、パーティに招きたいとかの電話が入り始めた。私は「プリンセスはもう一ヶ月もお風呂に入っていないのよ! 彼女の垢でネズミ色になった下着を見てからにして」と云いたい衝動を抑えるのに苦労した。彼女は一度だけカラスの行水の様なシャワーを浴びた事があった。ある時「日本女性が美しい黒髪を持っているのは海藻のお陰かしら? 私の髪も艶のある黒髪になるかしら?」と聞いてきた。そこで私は彼女の為にヒジキを煮てあげた。私が一寸目を離した隙に、彼女はドンブリ一杯のヒジキを頭からかぶってしまい、シャワーを浴びる以外になかったのである。フランスではタラソ・テラピー(Tharrasso Therapy )と云って、海藻風呂や、泥状の海藻でパックするなどのエステに使われる、まさか海藻を食べるとは思っていなかったらしい。ある本にアラゴン家の祖先はブルボン王朝で権勢を誇り、オーストリアのハプスブルグ家から嫁に来たマリ?アントワネットに辛い思いをさせたと云う記述をみつけた。その子孫のプリンセスが東京の私のマンションで頭からヒジキの醤油煮汁をしたたらせていると云う奇妙な光景であった。 15年前にロンドン大学のロナルド・ドアー教授から日本の女性の労働問題についてスピーチとパネルディスカッションに参加してくれという依頼があった。ドアー教授は日本通で知られていたが、私が書いたフィナンシャル・タイムス紙上の日本企業の決算記事から一番新しい情報をパクって、日本通として知ったかぶりをしていると白状した。例えば、日本では最近ウイスキー水割りは余り飲まれなくなった、代りに焼酎が好まれるといった情報である。私は生まれて始めてのスピーチを英語で英国人の学生の前ですることになった。それに続いての他の学者達とのパネルディスカッションも無事に終えて、興奮を冷ます為にロンドン大学からハイドパークコーナー駅まで歩く事にした。頭の中でたった今話したばかりのスピーチを反芻して公園を歩いていた。すると私と平行して中年の男が歩調を合わせてきた。そして、お前はフィリピン人, それともタイ人かと聞いてくる。当時私はフランス側のアルプスのスキー場によく出かけていて、ひどく雪焼けしており、東南アジア人によく間違われる事があった。とにかく私は先程の他のパネリスト達との議論を頭の中で反芻する事に没頭していて、この男の質問を無視した。するとこの男はズボンのポケットに手を突っ込み、紙幣をちらちら見せる。私はこの男が地下鉄に乗る為小銭に両替して欲しいというジェスチャーだと思い、自分のハンドバッグをあけ、財布を取り出し、コインがあるかどうか調べた。そしてこの男に「両替してあげたいけれど、私も大きな額の紙幣しか持っていないの、御免なさい」と始めて英語で答えたら、男は呆れた顔をして去っていった。後で英国人の友人にこの話しをしたら、"You are so naive. He made a proposition to you"と云われた。Naive(ナイーブ)は馬鹿だとか、無知と云う悪い意味で、日本人のナイーブの使い方は間違っている。Propositionはプロポーズ(申し込み、提案する)の名詞型であるが、大抵の場合、「男性が淫らな事を持ちかける」と云う意味で使われる。友人の解釈だと公園の男は私が東南アジア人の娼婦だと思い話し掛けてきた、私が何の反応を見せなかったので、英語が分らないと思い、お札を見せ、直接値段交渉のジェスチャーをした。英国の大学で英語のスピーチをすると云う人生で最高の知的経験をした直後に、人生で二度と経験する事がないような屈辱を味わうと云う両極端の経験を一日のたった数時間の内に味わったことになる。私の人生はスムーズに行った試しがない、良い事があると、それと同程度の悪い事がすぐ起きる。トラウマになっていて、昨年末宝くじが数万円当ったが、同じ位の悪い事が起るのが恐くて、インド洋沖の津波の被害者に全額寄付してしまった。 人によって解釈が違う事を女優の室井滋さんの文章で知った。室井さんは渋谷で外国人に指三本のジェスチャーを示された。彼女は時間を聞かれたと思い、「違う!違う!3時じゃない」と片手を振った、するとその外人は5万円を出した。彼女はこの不況の御時世に自分に5万円の値段が付いたと喜んでいた。その時着ていた赤いスラックスが男を引き寄せると、勝負服として大事にしていると書いていた。 ジェスチャーの解釈の違いで大失敗した事がある。あるパーティーで日本に赴任してきたばかりのフランスの銀行員と話しをしていた。彼は日本では年末に忘年会とか、取引先との接待が多くて驚いた。当初は奥さんを連れて出かけたが、日本では男だけの飲み会と分り、奥さんも付いて来なくなった。そこで私が「余り毎晩午前様だと奥さんがこれじゃないの?」と両方の人指し指を額から突き出して、奥さんが怒っていると云うジェスチャーをして見せた。するとこのフランス人は血相を変えて「僕の家内はそんな事をする女性でない」と怒り始めた。そこで日本に長く住んでいるフランス人が助け舟を出してくれ、フランスやイタリアでは人指し指を頭に突き出すのはCocu (コキュ、女が男を騙す、妻を寝取られる)という意味であるが、男性に対してひどい侮蔑のジェスチャーであると云う。東京のフランス人社会のジョークで帝国ホテルを"Imperial Hotel"と呼ばずに、「テ(貴男)コキュ(寝取られ)」ホテルと呼んでいると云う。そう云えば、若い頃、鹿の角で困った事を思い出した。ロンドンからギリシャまでたった二万円でいけるバス旅行があった。ドーバー海峡をフェリーで渡り、ベルギー、ドイツ、オーストリア、ユーゴスラビア、ギリシャまで二泊三日(その間にウイーンでホテル一泊)の旅行であった。ユーゴスラビアのヒマワリ畑を貫く悪路を一日ぶっ飛ばし、夜中にやっと何か食べられる店を見つけ、歯が折れそうな固いパンにありつけた。英国の観光バスが立ち寄ったというニュースは近隣の部落に伝わり、オートバイに乗ったユーゴスラビアの暴走族が集まってきた。観光客に売り付けようと持ってきた立派な鹿の角の一対を生まれて始めてみる東洋人である私にプレゼントしてくれた。この鹿の角はトラブルのもとで、ギリシャ、イタリアを旅行中、町中の男が鹿の角を指差して「ココ、ココ」と大笑いする。ココとは何かと聞くと人指し指を額から突き出し、げらげらと笑いこける。余り笑われるのでその鹿の角を途中で捨てた。後で、ココとはフランス語のコキュと同じ意味のイタリア語である事が分かった。老婆心ながらラテン系の男性には角のジェスチャーは禁物である。 (終) |