ジャーナリストのパソコンノートブック
(10)ポリティカリー・コレクト 
ビルメンテナンス 2005年6月号

   Politically Correct (ポリティカリー・コレクト)ぐらい長い間米国人の考え方、文化、表現、言語を支配した思想はない。米国の文化革命だと云う人もいる。日本も無縁ではない。男女雇用均等法、セクシャルハラスメント(性的嫌がらせ)裁判、禁煙運動、捕鯨禁止、黒マグロ捕獲禁止、そして児童の「ゆとり教育」の導入など多大な影響を与えている。Politically Correct(PCと表現される)を直訳すれば「政治的に正当」であるが、その定義は「政治家が口に出来るような表現で、差別的でなく、偏見もない言葉や表現である」という。ポリティカリー・コレクト思想は1950年代の反共主義McCarthyism(マッカーシズム)の反動として、1960年代ベトナム反戦運動、公民権運動から生まれたという。ヒッピー、ウーマンズ・リブ(女性開放運動)などの社会現象を伴い、今日までの45年間米国人の考え方、文化、表現、言語の根底となっている。
   PC思想には荒唐無稽な物も多く、功罪も多々取り上げられるが、米国の知識層がこぞって一番のマイナス面と挙げるのが「教育水準の低下」である。
1960年代から1970年代にかけての米国のPC運動推進派の学生達は、それまでの教育制度そのものが競争を促し、人々を差別に導いている。独断的観念を植え付ける諸悪の根源であると決めつけ、教育水準を下げるべきだと云う闘争を展開した。教育水準を下げる事によって、米国の学生の自信と創造性は徹底的に破壊されたと云う。1970年代半ば頃までには米国の大学の殆どが、教育をしようと云う任務を放棄してしまった。だから米国の教育水準は信じられない程低い水準に落ち込んでしまった。
   これら1960-1970年代のPC運動家達は、大学教授としてPC思想の普及に人生を捧げた、そして彼等は大学教育のカリキュラム(教育課程)を決定する当事者になった。PC思想の布教者である教授の任期は1980年代末までで、90年代には退任の時期を迎えていた。大学当局はこれら教授が退任するや否や、教育水準の見直しに取りかかり、競争原理を米国の教育制度に取戻した。この時期に、日本の教育者達は米国で衰退しつつあるPC運動 (教育水準の引き下げ)を取入れ、児童の競争を排除するいわゆる「ゆとり教育」の導入(2001年)を始めた、学習時間の3割の削減の結果は明らかであり、日本の学生の教育水準は先進国の中でみるみる低下した。また自分で考える力や創造力が伸びたという成果もみられない。米国で40年間掛かって失敗だと証明されたPC運動のババを最後に引いたのは日本である。
   1960年代の進歩的な若者は戦争反対ばかりでなく、米国での黒人に対する態度を変えようとした、これがいわゆる公民権運動である。人々の考えを変えようという使命に人生を捧げた教授達は全く荒唐無稽な事を教えている。たとえばヨーロッパ系の白人が成し遂げた全ての芸術的、科学的業績はもともとアフリカの黒人がその以前に発明した物を、白人が盗んできた物である。白人の作った芸術、音楽、科学、彼等の思想を常にけなして、それに対して敵愾心を持たなくてはならない。あるPCな教授は白人を melanin impoverished (メラニン色欠乏症)と呼び、白人は黒人に較べ生物学的に進化していない人種であると定義づけている。
   今日米国の新聞やテレビでは黒人を「アフリカ系アメリカン」、アメリカ・インディアンを「ネーティブ・アメリカン、つまりアメリカ先住民」と呼ぶのがPCである。これはPCな大学教授の影響を受けた学生達が、現実社会で新聞編集長、TV局の制作者、作家、政治家になっているので、Politically Correctと云う考え方がアカデミックな世界から外の世界にまで広まり、頻繁に使われるようになったからだ。先日米国のTVニュース番組で米国企業の重役が黒人の従業員にNigger!と軽蔑語で怒鳴った事で訴えられ、企業は黒人従業員に10億円の賠償を払ったという事件を伝えていた、ニュースキャスターは黒人をブラックとは呼ばずアフリカン・アメリカン、軽蔑語のNigger に対しては、N-word (Nの付いた言葉)を連発していた。Niggerは重役が使った既成事実であるからそのまま読めば良いのであるがPC思想が徹底しているため、N-wordで終始していた。
ポリティカリー・コレクト運動は米国に言語革命をもたらした。それまでの言語が差別用語であると新しいPC用語を作り出された。聖書にも書かれている「不具Crippled」が差別的であると云う事で、「"physically handicapped"」
に直され、そえがまだ差別的であると "Physically challenged" (身体的に負荷が掛かる)というPC用語に直された。恋は盲目の"Blind"も差別的表現で"Optically challenged" (視覚的に負荷がかかった)。PC運動家はフランスの作家ビクトール・ユーゴの「ノートルダムのせむし男 Hunchback man of Notre-Dame」を原作とするウオルト・ディズニーのアニメ映画の題名の Hunchback (せむし)が差別用語になると騒ぎ立てた、これを"Physically challenged man"とPC用語に直した。すると反対派はこれでは作家のヴィクト?ル・ユーゴの知的所有権が冒されると訴えた。最終的にアニメは「ノートルダムの鐘」という題名に変えられた。PC表現は動物、植物にも及び、"Pet" (愛玩動物)は人間が優位で、動物に対して差別的だと"Companion animal" (同伴動物)がPCな表現に変え、観葉植物は"Companion plant "(同伴植物)である。"Fat" (太った)も差別用語に相当して、"Horizontally challenged" (横に負担が掛かった)、叉は"Differently sized" (異なったサイズを持った)がPC表現だ。"Ugly" (醜い、ブス)は"Cosmetically different"(美容的に異なった)がPC表現である。さらに背の低い(short)は差別用語だと, NHKのTVドラマ"Alley my love(アリ?マイラブ)のテーマとなった。美しい女性弁護士アリ?が勤める弁護士事務所の経営者の叔父さんが亡くなった。叔父さんの遺言書が一寸変わっていて、教会での自分の葬儀に背の低い人(Short person)は参列しないでくれと書いてあった。故人の甥である弁護士事務所の経営者はとても背が低い。教会側は背の低い人の参列を断固として拒んだ。アリーは"Short"と云う表現は差別だ、"Vertically challenged" (縦に負担がかかった)とPC用語にすべきであると云う論争を展開した。このようにPC言語革命は最近ではTVドラマ、映画などでパロディーとして使われるなど余裕が見られるようになった。
   初期のPC言語革命はフェミニスト(女権拡張)運動と伴って戦闘的で、言葉狩りの様相を呈していた。私の友人千葉敦子(1985年乳ガンで死亡)は米国留学で女性指導者が公衆の前でブラを脱ぎ、焼くという初期女性開放運動を目の当たりにした。米国から直輸入した "Gender discrimination" (性差別表現)撤廃運動を外国特派員クラブに持ち込んだ。"Chair・man" (議長、会長)など - manの付いた言葉を、議長には女性もいる、"Chair.・woman"叉は"Chair・person"に変えろと主張した。そこである男性特派員が彼女の主張を揶揄した記事をクラブの機関紙に載せた 「千葉さん、カメラマンCamera・man を Camera・womanに変え、警官Police・manを Police・womanに変えろと云いますが、この場合 ?manは「男」でなく、「人間」という意味だと思います。もし貴女の主張通りであったら、"Man・hole" (マンホール) を"Woman・hole"に変えなければなりませんか?」"Woman・hole"(女性の穴)はなんとなく卑猥である。米国のフェミニスト運動家達もマンホールは揶揄されるらしく、女性(woman)の代りに"fem"という言葉を作った。いくら"Woman・hole" "Fem・hole"というPC用語に変えても、卑猥さは変わらない。「千葉さん、それではゴキブリ(Cockroach)はどう変えたら良いのでしょう?」と続く。Cock・roachの -roachは「虫」を意味するが、Cockは雄鶏を云い、大抵の場合、ポルノ雑誌、ポルノ映画では「男性器」を意味する、いくら千葉さんでも、ゴキブリを「女性器の形をした虫」とは主張出来なかった。    私は米国の金融誌の編集長から、日本の銀行の頭取の経歴(personal history)の執筆依頼を受けた。驚いたのは"history"(歴史)の代りに、His and Her storyと書いてあったことだ。歴史はHis(男)のストーリばかりでなく、Her (女性)のストーリでもあると米国のPC運動は徹底している。
   PC運動は"Sexist"(性差別主義者)という新しい言葉と観念を生み出した。男だから、女だからと"gender role"(性の役割)の決めつけに反対する。日本でも最近深夜労働を伴う女性タクシー運転手、パワーシャベルなどの建築機械の女性運転者などの"gender role"の見直しが浸透している。Sexist運動家は家庭の主婦 (Housewife)は男性に隷属していると毛嫌いし、"Domestic Incarnation survivor"(家庭内環境の生き残り)とか、"Unpaid Sex worker" (無料の性労働者)と手厳しいPC用語を使っている。最近になってジェームス・ボンド 「007」シリーズの映画が、登場女性が"Sexist" シンボルそのものであると過去20年間ハリウッド大物女優からボイコットされてきたことが分かった。英国諜報員007の男性的魅力に負けて、簡単に寝返ってしまう可愛いい敵の女スパイという"stereo type" (紋切り型)の女性像がPCでないという理由だ。最近では映画制作会社も007の相手役の女性に原子力研究所職員、弁護士、パイロット、外交官、大学教授などのキャリアーを持った役柄に変えている。   (終)


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