ジャーナリストのパソコンノートブック |
(8)日英トイレ戦争 |
ビルメンテナンス 2005年4月号 |
私は英国の新聞・雑誌の仕事に長い間携わってきたが、英国の大衆紙の無知で無責任報道によって、英国の世論が日本製品不買運動にまで過熱する事例を2回経験した。その一つが日-英犬戦争であり、もう一つが日-英トイレ戦争である。 「日-英犬戦争」 これは私が大学を出て、米国のABC TVの東京支局に勤務して初めて命じられた取材であった。「日本人は犬を虐待する」という英国の大衆紙の悪意ある、無責任報道に抗議して日比谷公園を百匹の犬と愛犬家が行進をするのを取材する為に撮影クルーを連れて駆け付けた。ABCの米国人支局長は絵柄を面白くする為に犬が片脚を上げておシッコをする場面を撮影しろと云っていたが、これら英国から輸入された犬達は躾良く片脚を上げる犬は見当たらず困った覚えがある。 犬達は「私の飼い主は私を可愛がってくれます」とかのプラカードを首に下げて、飼い主と共に整然を行進していた。この紛争の発端はニューズ・オブ・ザ・ワールド紙が香港で有名な話しを日本版に焼き直して書いた1970年の記事で、読者の過剰反応に便乗して、他の大衆紙も競って無責任な記事を書き立て、「日本に犬を輸出するな!」さらに日本製品の不買運動と反日運動はエスカレートするばかりであった。ついに英国外務省が英国新聞記者達にこれ以上の過熱報道をするなと介入して、沈静化させたという。香港版のストーリーはある英国人の老夫妻がプードル犬を連れて中華料理店にやってきた。メニューから何とか料理を選び、ついでに私のプードルちゃんにも何か食べ物を作ってあげてと英語の分からないウェータ?に犬を指差し、口を指差してモゴモゴしてみせたところウェーターは分かりましたと、犬を抱きかかえていった。老夫妻は美味しい料理を堪能して、レジで勘定を払う時に「私のプードルちゃんはどこかしら?」と聞いたところ、「今食べられた料理がプードルちゃんです」と答えた。この話しを「英国人の老夫妻が愛犬を連れて東京の料理屋に出掛けた……」と焼き直している。 私は長い間この無責任報道の後遺症に悩まされた。ロンドンのバス停でヨボヨボの老婆が近付いてきて、「あんたは日本人かえ? 本当に犬肉を食べるのかえ?」と聞いてくる。嫌がらせかと思ったが、真顔できいてくるのである、無責任報道によって起こされた風聞の恐さを知った。また結構インテリの家族との交流が続き、無礼講で何でも話せるようになった段階で「東京には犬を専門にする料理店が何軒あるの?」と聞かれ、寂しい思いをした事がある。 中国人は食べ物に対して物凄く貪欲で「脚のあるものなら、テーブルと自分の母親以外全部食する、また飛ぶものは飛行機以外全部食する」という有名なたとえ話しがある。確かに、中国では犬を食する食習慣があり、私も広東の市場で食肉用のコロコロした子犬を見た事がある。また韓国ではソウル・オリンピック前に犬肉専門の料理店は表通りから、旅行客の来ない裏通りに移るようにと大統領命令が出たという。友人のボールドウイン夫妻はかってソウルに住んでいたが、息子の8才の誕生日に子犬をプレゼントしたが、子犬が8ヶ月に育ったところで近所の者に盗まれ、食べられてしまった。あまりにも残酷なので未だに息子に話せないでいると云った。 私も最初の頃日本は仏教国で動物の肉は不浄とされて食べる習慣がなかった、日本人は味覚が繊細で、すき焼きの牛肉は、牛にビールを飲ませ、モーツアルトの曲に合わせ人間がマッサージして、フレーバーのある柔らかい霜降り肉を食べる、犬肉なんて日本人の味覚に合わないと気色ばんで反論していた。しかし何にでも、ケチャップをかけ、安いモルト酢をかけるという味覚の退化した、保守的な英国の一般大衆には分かって貰えない。そこで例の奥の手を使う事にした。もし法外な犬肉論議を吹っ掛けられたら、出来るだけ無邪気な顔をして、「あら本当?日本では犬肉はたべないけれど、英国にきたら犬肉を食べられると楽しみにしてきたの。英国人はどのようにして犬肉を料理するの? ロースト・ドッグ? 犬肉のひき肉パイ? 犬肉専門の料理屋さんがあったら教えて、日本にかえったら皆に自慢してみるから」と聞いてみる、愛犬家ならまず気持ちが悪くなる、そして自分がなんと無知で、馬鹿な質問をしたと恥ずかしくなるのである。 「日英トイレ戦争」 長野冬期オリンピック時に海外のメディアの関心事はオリンピックの施設が自然環境を破壊しないと云う事であった。海外のTV番組は、日本人にとって何十年も見慣れた駅の水洗便所(和式)を紹介して、一番上には手洗いの水が流れ、その廃水は無駄に流されず、下のタンクに溜められ、さらに便器を流す為に使われる。水を無駄にしない、エコロジーという面で素晴らしい発明であると、米TVの有名なニュースキャスターが便所に入り、実演して見せていた。一つのTV局がこのような報道をすると、他の局も皆同じような番組を作る、お陰で日本のトイレの話題は、地獄谷の雪原で温泉に入る日本猿と同じくらい頻繁に取材されるトピックとなった。この日本の水洗トイレの仕組みを説明するTV画面を見て、私は15年来の肩の荷が降りて、責任感から開放されたという感慨を持った。 これはそれより15年ぐらい前にビートルズのポール・マッカトニ?が成田空港に降り立ったと途端に麻薬不法所持で捕まえられ、一ヶ月近く拘置所に拘留される事件が起きた。これは大事件だと英国の大衆紙の記者達が大挙して日本に取材で駆け付けてきた。私も当時大衆紙の編集長をしていた知人がいたので、取材を手伝ってあげた。彼らはポールが拘置所の独房でどのような扱いを受けているか知りたがった。独房にはベッドがここにあり、トイレがここにありと拘置所担当者の簡単な見取り図での説明があり、通訳してあげた。すると記者達はポールはどこで顔を洗い、歯を磨くのかと質問してきた。担当者は水洗トイレの一番上の手洗用の清潔な水道水を使って、手や顔を洗い、歯も磨くと答えたのでそのまま通訳したが、大衆紙の記者達の顔には「これだ!」という、金鉱脈を掘り当てたような歓喜の表情がと見てとれた。勘違いされては困るので、私はもう一度日本の水洗トイレの絵を書いて説明したが、私の努力は無駄の泡。 日本式の水洗トイレを使った事のない記者達の頭の中にはもうストーリーは出来上っていたのである、又それら記事に付けるセンセーショナルな大見出しまでもが頭に浮かんでいるのである。「ポール・マッカトニ?は独房のトイレの水で顔を洗い、歯を磨かねばならない」。つまり水洗トイレの底に溜っている水で顔を洗い、歯を磨きと英国人読者の想像にゆだねる見出しを付け、日本の水洗トイレの仕組みに付いて何も触れていない。また他の記事ではポールは"Midnight Express Experience"(映画ミッドナイト・エクスプレスの様な酷い経験をしている)とセンセーショナルな見出しをつけた。ミッドナイト・エクスプレスとは米国の映画の題名で、トルコを旅行中の米国青年が麻薬所持で掴まり、ひどく不潔で、残酷な監獄生活を強いられる話しである。このトイレ報道で、英国の世論はポールに対しての同情に変わり、彼は悲劇の主人公になった、そしてポールを救い出せと英国の世論が沸き立った。当時私が勤務していたフィナンシャル・タイムスの編集局長がビジネスで東京に来ていたが、彼の5才になる末娘までもがロンドンから電話してきて「パパ、ポールを助けてあげて」と泣き声で頼んでくる程、英国民は感情的になっていた。 百分は一見にしかず、この15年で、日本のトイレに対する評価はミッドナイト・エクスプレスからエコロジーでもっとも進んだトイレに変わった。 その後海外の新聞は日本の温水洗浄温風トイレに付いての記事を書くのが流行りになった。ワシントン・ポスト紙もこれまでの日本発の記事の中で一番反響が大きく、世界中から問い合わせがきたという。困ったのは英語で統一された名前がない事だ。外国特派員クラブでの総会で温水洗浄便器の設置を増やすべきだと決議されたが、英語での正式名が分からないので「ハイテク・トイレ」と臨時の呼び名を付けた。 日本のハイテク・トイレに付いて書いた海外の記事の中で一番洗練されたものは京都での環境会議に出席した英国の女性記者の初体験記で "I ventured into Waterloo in Kyoto Hotel"である。英国ではトイレを"loo"とよぶ、水が噴出する"water"と続けて"Waterloo"と洒落てみせた。"Waterloo"はフランス語では「ワ?テルロー」で、つまりナポレオンが1815年に大敗退したベルギーの寒村である。ワ?テルロ?戦争と温水洗浄便器への初挑戦を引っ掛けて、京都のホテルで「水の出るトイレとの戦いに挑んでみた」という記事である。うっかり"Jet"のボタンを押したら、自分のお尻が浮き上がってしまう程の強い水流が噴出してきた、今度は"Spray"のボタンを押すと、こぬか雨のような心地よい水が出てくる、このシステムには時間制限がないので、何もする事のない午後には心地よい便座に何時間でも座って本を読んだりするのは時間潰しに悪くない方法であると書いている。 オーストラリアの特派員も日本のハイテク・トイレに付いての記事を書いているが、押すボタンが多く、複雑で、これを使いこなす為には、講習を受けて、自動車のドライバーライセンスの様な免許が必要になると大袈裟な記事を書いている。 (終) |